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2019年5月25日 (土)

メーデー、メーデー

 

Theresa-may-stepping-down 本日(5/24)、テリーザ・メイ(Theresa May)首相は6月7日に辞任することを発表した。午前中、首相官邸前で辞意を告げるスピーチをした折、最後の言葉は嗚咽(おえつ)となった。公約したブレグジットは実現せず、英国では10年くらいは普通に勤める首相職をたった3年ほどで辞めなければならないほどに追い込まれた我が身の不遇を思う時、さぞ悔しかったであろう。しかし冷酷ではあるが、政治家とは結果がすべてである。どんなに頑張った努力したと叫んでも、結果が出せなければ失格の烙印を押されるのが政治家の宿命である。日本と違い欧米の政界、とりわけプラグマティズム(実用主義・現実主義)の傾向が強い英国にあっては、「使えなければ取り替える」が大方の民意だ。政治家もそれはよく分かっている。

本日の報道はこのニュースで持ちきりであった。その意味でまさに「メーデー(May Day)」だったが、別に5月1日(メーデー)だった訳ではない。Mayday(メーデー)とは、無線電話で遭難信号を発信するときに国際的に使われる緊急用符号用語である。「フランス語の「ヴネ・メデ(venez m'aider)、即ち「助けに来てくれ」に由来する。一般に人命が危険にさらされているような緊急事態を知らせるのに使われ、警察、航空機の操縦士、消防士、各種交通機関などが使う」(以上、Wikipedia より)。

 

世界的に有名な語学学校ベルリッツ(Berlitz)のCMをご存知だろうか(YouTube の動画参照)。場面はドイツの沿岸警備隊の基地。上司と勤務交代する不安げな新米警備員。上司が去った後、英語の緊急無線が入る。「メーデー、メーデー、我が船舶は沈没中(sinking)! 救助を要請!」。狼狽する新米警備員はたどたどしい英語で応答する。"What are you sinking (thinking) about ? " sink(沈む) と think(思う・考える) の区別がつかない警備員(爆) 英語ができないとね、とのベルリッツからの勧誘CMである。

このCMと本日のメイ首相の姿が重なってしまった。あとはご想像にお任せする。

 

2019年5月24日 (金)

英国政府から日本人旅行者への福音

 

 

Heathrowbordercontrol ロンドンの国際空港、とりわけヒースロー国際空港の入国審査は世界的に悪名が高かった。EU 諸国及び若干の他のヨーロッパ諸国の国民以外、原則すべての外国人旅客は審査官による入国審査を受けなければならない。世界トップクラスの発着便数に加え(2013年まで国際線利用者数は世界一の空港だった)、旅行者には世界一厳しい入国審査。日本からの直行便はすべてこの空港が発着のため、画像のような長蛇の列に遭遇した経験を持つ方もおありだろう。審査官との対面まで1時間待ちはざらで、時には最高2時間半待ちの憂き目も。毎度、約12時間のフライトを終えてからの長蛇の列には心底うんざりしたものだ。エコノミークラスの疲れ、時差ボケ、空港内の長距離の歩行、入国審査前の長蛇の列、そして審査官による尋問のような入国審査。まさに拷問であった。

他方で、永住権保持者や就労ビザ取得者等、一定条件を満たした外国人には(出身国は限定されている)、「登録旅行者制度(Registered Traveller)」という特別措置がある。この制度の利用者は、審査官による対面審査が免除され(入国カードの記入も不要)、EU 諸国民と同様に「自動化ゲート(e-Passport)」を利用できるサービスである。オンラインによる申請&許可から1年間有効で、初回は70ポンド、翌年の更新から50ポンドを支払う。私たち夫婦も「背に腹はかえられぬ」で、この登録旅行者制度を申請し、利用してきた。おかげでこの2年間、同じ日本人でありながら長蛇の列に並ぶ同胞を横目に、スイスイと自動化ゲートで入国審査を済ませてきた。変な優越感に浸ったものだ。

 

ところがここにきて、日本の一般旅行者にとって大いなる<福音(良き知らせ)>が英政府からもたらされた。同時に、登録旅行者制度の恩恵に浴していた者たちはその恩恵を失うことになった。思えば、これもブレグジットの恩恵である。英国政府は、EU 諸国+α 優遇から、日本やアメリカをはじめとする「これからの貿易推進諸国」優遇へと舵を切ったのだ。

以下、在英国日本国大使館領事班から受信したメールを原文のまま引用し紹介する(画像は別)。

 

Airportpassportcontrolmachine1068x623 5月20日より,日本のIC旅券保持者で,航空機や鉄道を利用して英国に入国する12歳以上の方は,自動化ゲートの利用が可能となりましたので,お知らせいたします。ただし,一部例外となる場合もありますので,ご注意ください。

1.5月20日,英国政府は,オーストラリア,カナダ,日本,ニュージーランド,シンガポール,韓国及び米国の7カ国のIC旅券保持者で,航空機や鉄道を利用して英国に入国する18歳以上の方を対象として,入国時における自動化ゲートの利用を可能にするとともに,入国カードの提出を廃止しました。
 また,12歳から17歳の方についても,自動化ゲートの利用対象となる大人に同伴される場合には,同様に自動化ゲートの利用が可能とのことです。

2.ただし,自動化ゲートを利用した場合,英国の入国印は押印されません。英国の入国印がないことにより,行政手続き等で何らかの不便が生じる可能性も否定できませんので,入国印を必要とされる方は,有人の入国審査カウンターにて入国審査官に相談するようにしてください。

3.更に,次の方々については,引き続き入国審査官による入国印の押印を受ける必要があると案内していますので,ご注意ください。
(1)滞在予定が6ヶ月未満の短期留学生の方
(2)滞在予定が3ヶ月未満のTier 5(Creative and Sporting)の滞在資格の方
(3)滞在予定が1ヶ月未満の専門的職業(Permitted Paid Engagement)での滞在資格の方(https://www.gov.uk/permitted-paid-engagement-visa
(4)EEA(European Economic Area,欧州経済領域)国籍者の家族で,永住目的で入国する方

4.詳しくは,英国政府発表の次のウェブサイトをご覧の上,ご質問やご不明な点がある場合は,英国内務省入国管理局へお問い合わせください。
https://www.gov.uk/government/news/government-expands-use-of-epassport-gates-to-7-more-countries

 このメールは,在留届にて届けられたメールアドレス,「たびレジ」本登録及び「たびレジ」簡易登録をされた方のメールアドレスに配信しています。既に英国にお住まいではなく,在留届が出されたままになっている方は,本メールに返信の形で結構ですのでお知らせください。また,「たびレジ」簡易登録をされた方で,メールの配信を停止したい方は,以下のURLから停止手続きをお願いします。
【たびレジ】https://www.ezairyu.mofa.go.jp/tabireg/simple/delete

在英国日本国大使館領事班
電話:020-7465-6565(代表)

2019年5月22日 (水)

独り言

 

スペインの作曲家フェデリコ・モレノ=トローバ。彼がギターのための作曲した組曲『スペインの城』の中の1曲「トリーハ(Torija)」。美しい曲だ。副題に「哀歌(Elegia、エレヒア)」とある。

曲の冒頭、メロディーが「この道」(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰)に似ている。

♪ この道は いつかきた道 ああ そうだよ ♪

 

私が知っているT教会。 ♪ この道は いつかきた道 ああ そうだよ ♪ 

学ばない教会だ。。哀歌。

 

 

2019年5月20日 (月)

めざせダウニング街10番地

 

英政府・与党保守党と最大野党・労働党による欧州連合(EU)離脱の行き詰まり打開に向けた協議が17日、決裂した。メイ首相は6月初旬に離脱案の4度目の議会採決を予定していたが、野党の協力は得られず、ほぼ否決される見通しとなった。これに先立つ5月16日、「1922年委員会」との会合を持ったメイ首相は、6月上旬までに辞任日を明確にする約束をしていた。5月上旬の地方選挙で、保守党は 1,300 議席以上を失う大敗を喫していたからだ。一昨年の下院選挙でも保守党は議席を減らしているので、「メイ首相では次の総選挙は勝てない」と与党議員たちは公然と「メイ降ろし」を主張するようになった。英議会は完全に「政局」に入ったと言える。ブレグジット(EU 離脱)に関しては、上記のとおり離脱案が否決された場合、英国に残された選択は「ノー・ディール(合意無き離脱)」か「再度の国民投票」に絞られると思う。(個人的には、ノー・ディールでも、英国は EU から離脱した方がよいと考えている。そもそも、それが3年前の国民投票での結果であり、民意であった。)

 

折しも、今週23〜26日にかけてEU 各国では欧州議会選挙が行われる。英国では23日が投票日だ。これは EU(欧州連合)に加盟している国が欧州議会に派遣する議員を選出する選挙だが、本来予定どおり3月29日に(または4月12日に)英国が EU から離脱していれば参加する必要のなかった選挙であった。ご存知のように、現時点での離脱予定日は10月31日となったので、わずか半年ばかりの任期の議員の選挙を英国は行う羽目になってしまったのだ。この選挙での有権者によるトップの支持政党は、あのナイジェル・ファラージ氏(元「英国独立党(UKIP)」党首)が結成したその名も「ブレグジット党」である。5月9日の時点で、世論調査会社「ユーガブ」が実施した調査では、既存の2大政党(保守党・労働党)の支持率を足してもブレグジット党の支持率に届いていない。躍進ぶりがお分かりいただけるであろう。こんな議員たちが英国から欧州議会に送り込まれては、これからの EU のビジョンや政策が妨害されはしないかと EU 首脳部や官僚たちは戦々恐々に違いない。いずれにしても、欧州議会選挙ではファラージ氏は「台風の目」の存在だ。

 

Img_5359 政局の関心はもちろん「次の首相は誰か?」である。依然、保守党が多数党なので、保守党党首イコール首相となる。ただ昨年末、与党から提出された党首不信任案は否決されたので、1年間はメイ氏が党首に残る権利は実は担保されている。そうであるはずなのだが、与党内でメイ降ろしが叫ばれるとは、党規を変更してでも党首の首をすげ替える機運が党内には満ちているということだ。完全な政局である。

「次期首相は誰か?」ということは、ジェフリー・アーチャーのベストセラー小説『めざせダウニング街10番地』の世界になってきたということである。ダウニング街10番地とは、首相官邸のことである。この小説は、自身も下院議員の経験を持つアーチャーが、首相の椅子を目指す政治家たちの出世レースをリアルにそして生き生きと描いた作品であった。日本語版は、外国人には不可解な英国政界の制度や習慣を描いた箇所に著者が手を加え「単純化」したアメリカ版に拠っている。原作は四つ巴の出世競争であるが、アメリカ版及び日本語版では三つ巴の政争として描かれている。原題は "First Among Equals" 。元々はラテン語の primus inter pares で、「同輩中の首位の者」という意味である。イギリス国教会のカンタベリー大主教も First among equals という位置づけになっている。政治の世界ではずばり「首相」を意味している。2019年版のリアルな「めざせダウニング街10番地」では、果たしてどんなドラマが繰り広げられるのだろうか。

 

 

2019年5月15日 (水)

アブダクション(仮説推量・仮説生成)

 

The-territories-of-human-reason 昨日、レディングでの家庭集会の後、例によってオックスフォードに行った。ブラックウェル書店でアリスター・マクグラス先生の最新刊を購入した。

Alister E. McGrath, The Territories of Human Reason: Science and Theology in an Age of Multiple Rationalities, (Oxford University Press, 2019) 

今年1月に、オックスフォード大学出版局(OUP)から刊行されたハードカバーの本格的な学術書だ。マクグラス先生は生涯の magnum opus となる『科学的教義学』の執筆に向かっているが(そう信じたい)、本書はその過程でのマイルストーンの1冊と言えるだろう。自然神学や「自然科学とキリスト教神学」の関係についての著作では今までは主に「啓示」の面を論じて来られたが、今回の著作はタイトル(The Territories of Human Reason)が示すとおり、科学と宗教そして自然神学における人間理性の問題、特に現代のポストモダン状況下での<複数合理性(multiple rationalities)>の問題に焦点を当てている。

 

まだざっと目を通しただけだが、第6章で取り上げられている「アブダクション(abduction)」への言及について関心を惹かれた。第6章の見出しは次のとおりである。

From Observation to Theory: Deduction, Induction, and Abduction

The Entanglement of Theory and Observation

Logic of Discovery and Justification

Deduction in the Natural Sciences

Deduction in Christian Theology

Induction in the Natural Sciences

Induction in Christian Theology

Abduction in the Natural Sciences

Abduction in Christian Theology

 

アブダクション(またはリトロダクション、仮説推量・仮説生成)は、演繹法(deduction)・帰納法(induction)に対する第三の思考法として知られている。(尚、アブダクションには「拉致すること・誘拐」という意味もあるが、ここでは関係ない。) 以前の投稿、「三段論法の功罪」で演繹法の推論が正しくても仮定(前提)が誤っていれば結論は偽であることを書いた。正確には、誤った仮定からは任意の命題が導けるので、結論には意味がないということだ。アブダクションとは、仮定を発見(または点検)する方法論である。経験から「帰納法」によって理論を作ることができないのを証明したのが D. ヒュームであった。事実から仮説を帰納するアルゴリズムは存在しないというのが「ヒュームの問題(ヒュームの懐疑論)」だ。帰納法に代えてアブダクションを提唱したのがアメリカの哲学者・論理学者チャールズ・パース(Charles Sanders Peirce, 1839ー1914)である。プラグマティズムの創始者として知られている。マクグラス著の本書でも重要人物として言及されている。パースはアブダクションの発想を中世の神学者・哲学者ドゥンス・スコトゥスから得たという。

 

世界史でウィリアム・オッカムとの「普遍論争」を教科書で学んだ記憶のある方もおられよう。スコトゥスの実念論(実在論、realism=「猫」という本質がまずあって、それが「ミケ」や「ブチ」という個体に具現される)とオッカムの唯名論(nominalism=存在するのはミケという個体だけであり、猫という普遍はその集合の名称にすぎない)の論争であった。キリスト教神学という「実在論」の立場からするならば、ミケやブチの集合が猫というのは論理的にはおかしい。ミケを猫という集合の要素として分類するためには、猫という集合の定義が分かっていなければならないからだ。しかし他方で、唯名論は、その定義を決めるにはミケは猫だがポチは猫ではないなどと分類しなければならない。それにはまずミケが猫だと分かっていなければならないと反論する。いずれにしても、こういう(堂々巡りのような)議論が続いた後、結果としては唯名論(ノミナリズム)が近代哲学への道標になった。個体だけを実在とみなし、普遍的な絶対者(神)を否定する唯名論は、啓蒙思想(実証主義や功利主義)の元祖である。実は「普遍論争」は今も続いている。本書の副題にある「複数合理性の時代( in an Age of Multiple Rationalities )」とはそのような現代の知的状況を表したものであろう。デカルト以降の近代哲学は現代のポストモダンに至り、普遍論争は唯名論が勝利したと思われたが、しかしそれでも例えば、宗教であれ自然科学であれ、人々が特定の宗教(あるいは理論)を信じるのはなぜなのだろうか。それは単なる慣習ではなく、何かの必然性があるのではないか。パースは「アブダクション」と名づけた発見の論理の元祖をスコトゥスに求めたのであった。

 

演繹とは、前提 a と一般的法則「a ならば b である」から結論 b を導く方法、つまり前提と一般的法則をもとに結論を導く思考法である。例えば3匹のうさぎがいて、前提は「3匹はうさぎ」、一般的法則は「うさぎは耳は長い」、結論は「3匹の耳は長い」。妥当な演繹は、仮定が真であれば結論も真であることを保証する。

帰納とは、仮定 a が結論 b を伴ういくらかの事例を観察した結果として一般法則「a ならば b である」を蓋然的に推論する。つまり前提と事例から普遍的法則を推測する思考法である。例えば「3匹はうさぎ」(前提)、「3匹の耳は長い」(事例)、結論「うさぎは耳が長い」。しかし帰納は、推論した法則が真であることを保証しない。

アブダクション(仮説推量・仮説生成)は、結論 b に一般法則「a ならば b である」を当てはめて前提 a を推論する。「3匹は耳が長い」(演繹)・「うさぎは耳が長い」(帰納)、ゆえに「3匹の耳が長い理由は、3匹がうさぎだから」と推量・推理する思考法である。帰納が前提と結論から法則を推論するのに対し、 アブダクションとはつまり、結論と法則から原因を探る思考法である。「関連する証拠を――真である場合に――最もよく説明する仮説を選択する推論法」である。アブダクションが要請されるのは、たとえ観察事実がたったひとつしか存在しなかったとしても、 その観察事実が疑念を生じさせるに十分なものであるならば、その生み出された疑念をなんとか解決しようとする積極的な思考の働きが確かに存在するような推論だからだ。

イノベーションとは科学的発見に似ている。それは確立されたパラダイム内での素朴な実証主義(実験データから帰納して理論ができ、それを演繹して実験で検証するというサイクル、帰納→理論→演繹) ではなく、科学者の発見した仮説を検証(または反証)するのだが、その仮説はどうやって発見されるのか、そこに論理はあるのか、これは難問だ。アブダクションはそれに対する解答の試みである。現代の科学哲学では<創発(emergence)>はキーワードであるが、アブダクションとは差し詰め「仮説の創発」と理解できるであろう。そういえば、マクグラスの『科学的神学 全3巻(A Scientific Theology, Vols.1-3)』において、<創発>は重要な概念であった。同様に自然科学におけるアブダクションの試行は、キリスト教神学の方法論にも適用できるとマクグラスは考える。

 

 マクグラスは、C. S. ルイスが『キリスト教の精髄(Mere Christiannity)』(『天路逆程(The Pilgrim's Regress) 』でも)で展開した、神の存在をめぐる「願望(憧憬)からの論証argument from desire)」にキリスト教神学におけるアブダクションの例を見る(本書 p. 180)。演繹でも帰納でもない(アブダクションを「広義の帰納」と捉える学者もあるが)、<第三の合理性>が注目されている。

 

 

2019年5月11日 (土)

フィルハーモニア管弦楽団演奏会 with V. ムローヴァ

 

管弦楽: フィルハーモニア管弦楽団

指揮: パーヴォ・ヤルヴィ

曲目: ・L. ベートーヴェン 『エグモント序曲』

    ・ヤン・シベリウス 『ヴァイオリン協奏曲 ニ短調』 
              (Vn:ヴィクトリア・ムローヴァ)
   
    ・P. I. チャイコフスキー 『交響曲第6番 ロ短調 <悲愴>』

日時: 2019年5月11日 午後7時30分〜

会場: ロイヤル・フェスティバル・ホール(ロンドン)

 

Img_5345 指揮者に NHK 交響楽団首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ、ヴァイオリン独奏にヴィクトリア・ムローヴァを迎えてのフィルハーモニア管弦楽団の定期演奏会。ムローヴァは、1959年旧ソ連出身のヴァイオリニスト。1980年にシベリウス国際ヴァイオリン・コンクール(ヘルシンキ)で優勝、1982年にチャイコフスキー・コンクール(モスクワ)で優勝した超逸材。共産主義の体制下で将来を約束された身分であったが、1983年に恋人のピアノ伴奏者と亡命。西側移住後はリサイタルの他、世界の主要オーケストラと共演している。日本でも、例えば1992年にクラウディオ・アバド率いるベルリン・フィル日本公演のソリストを務めた(→https://www.youtube.com/watch?v=5dzpVSVqBdU  39分35秒付近からブラームスの協奏曲の第3楽章などお聴きあれ)。(ワイドショーネタで恐縮だが、ムローヴァはかつてアバドと不倫関係にあり、二人の間には息子が生まれている。アバドは子を認知した。名はミーシャ・ムローヴ=アバドで、主にジャズ音楽の分野で活躍している。母親のヴィクトリアはジャズの世界にも参加し、しばしば息子と共演している。) 彼女は現在、ロンドンに住んでいる。

 

同じヴァイオリニストでも、P. コパチンスカヤの奔放さ・エキセントリックさとは対極の、ムローヴァは正統派そのものの折り目正しい演奏だ。もちろん世代間の違いもあるだろう。私は今宵のムローヴァの演奏を聴いて、(他の奏者による生演奏には何度も接しているが)初めてシベリウスの協奏曲のエッセンスを知らされた気がする。かつてシベリウス・コンクールで優勝した彼女にとって思い入れのある曲に違いない。指揮者ヤルヴィの、独奏者にぴったり寄り添うエスコートも素晴らしかった。終演後、賛辞を惜しまない聴衆に応え、アンコールとしてエストニア(ヤルヴィの出身国)の作曲家による『パッサカリア』という曲が彼女とオーケストラによって演奏された。

 

ムローヴァは来月6月6日にレディング(Reading)で無伴奏演奏によるリサイタルを行う。昨年10月の来日公演でも披露したプログラム。休憩を入れず、約90分間連続で弾かれる演奏会だ。息詰まる緊張を楽しみたい。パーヴォ・ヤルヴィも来年2月に NHK 交響楽団を率いてロンドン公演を行う。今から楽しみにしている。

 

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パーク・ストリート教会

 

 

Img_5267 Img_5262 Img_5263   ボストン滞在中、地下鉄「パーク・ストリート」駅の地上出口脇にある会衆派(congregational)の教会「パーク・ストリート教会(Park Street Church, Boston, MA)」を訪ねた。ボストン・コモンという大きな公園の向かいにある。生憎ウィークデーだったので、礼拝出席はできなかった。ボストンは、歴史の浅いアメリカ合衆国にあって古都とされる長い歴史を持つ。この教会は1809年に設立された会衆派の中の保守的立場の教会である。有名なハーバード大学(Harvard University)も元々は聖職者養成のために設立された大学だったが、神学部(現在の神学大学院)は後にリベラル化したように、アメリカ東海岸には概してリベラル派の教会が多い。その中にあってこの教会は設立以来、保守的な立場を貫いてきた。

右端の画像をご覧いただければお分かりのように(タブレット端末やスマホでご覧の方は画像をピンチアウトすることをお勧めする)、教会の沿革には福音主義のクリスチャンにとって興味深い記述が見られる。例えば、ハロルド・オケンガ(Dr. Harold J. Ockenga)が1936年から1969年の33年間にわたり同教会の主任牧師であったことそして1942年の「全米福音同盟または「全米福音主義連盟」National Association of Evangelicals, NAE)の創立メンバーだったこと、また1949年のビリー・グラハムによる大陸横断伝道集会はこの教会から始められたこと等々である。この沿革には記されていないが、ハロルド・オケンガ牧師はビリー・グラハム師と共に、東海岸の福音主義教職者養成のための超教派神学校「ゴードン・コンウェル神学校(Gordon-Conwell Theological Seminary)」を2つの神学校(ゴードン・カレッジとコンウェル神学校)の合併という形で1969年に設立している。オケンガはその初代学長に就任したが、実は彼はそれに先立つ1947年の「フラー神学校(Fuller Theological Seminary)」創立にも尽力し、やはり初代学長に就任している。オケンガ師はその他にも、ビリー・グラハムやカール・F. H. ヘンリーらが企画した福音派の専門雑誌「クリスチャニティー・トゥデー(Christianity Today)」誌の創刊にも協力した。いずれにしても、アメリカの福音主義を語る上で欠くことのできない人物である。

ボストン旅行の折、福音派教会での礼拝を願っている方は、まずこの教会に行かれることをお勧めする。種々の公開講座の会場としても用いられ、アリスター・マクグラス先生(→https://www.youtube.com/watch?v=mIEKVDjlfJA )やジョン・レノックス博士(→https://www.youtube.com/watch?v=zGM6HumXqm8 )などもこの教会で講演している。

 

Img_5264 01_signatures_themostvaluablesignatureon Johnhancocksignature 教会に隣接する墓地で、ジョン・ハンコック(John Hancock, 1736ー1793)を記念するモニュメントを見かけた。 ハンコックは18世紀のアメリカの政治家で、第二次大陸会議および連合会議の議長を務めた。マサチューセッツ州初代の知事であり、アメリカ独立宣言に最初に署名した人物である。「アメリカ独立宣言書(The Declaration of Independence)に署名されたサインの中で、ハンコックのものが一番大きかった。転じて、ジョン・ハンコックとはアメリカ英語で「自筆の署名(a person's own signature)」を意味するようになった。例えば "Put your John Hancock on that line.(その線の上に署名してください)" などの用法があると妻が教えてくれた。覚えておくとアメリカでは役に立つ表現である。

 

 

2019年5月 6日 (月)

アルダースゲート通り

 

Img_5304 5月2日のボストン。この日はマチネ(昼公演)でボストン交響楽団の定期演奏会があった。指揮は音楽監督のアンドリス・ネルソンス。曲目はリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』、ヴァイオリン独奏にバイバ・スクリデを迎えてのセバスチャン・キュリアー(アメリカの作曲家)の新作協奏曲の世界初演、そしてメインはストラヴィンスキーのバレエ音楽『ペトルーシュカ』(1947年改訂版)だった。感想は、うーん、昨年(ベルナルト・ハイティンク指揮)も今年も、ボストン交響楽団から納得の行く音楽を聴かせてもらっていない。特に今回は、前から2列目聴衆側席に陣取っていた初老の男性チェロ奏者のプロ意識がまったく欠如した弾きぶりに幻滅した。いったいあいつは誰だったのだろう?! 楽団員一覧を見ても顔が一致しない。エキストラだったのか(前から2列目に座るわけないか)、ゲヴァントハウス管弦楽団との楽団員交換プログラムの一員だったのか、とにかく判然としない。こんな奏者が2番席に座っているようではダメだ。そういえばボストンの聴衆はほとんど老人ばかりだった。拍手も元気がない。とにかく、消化不良の演奏会であった。

 

5月5日は私たち夫婦の結婚記念日だ。前日の晩にアメリカから帰英して、翌日の午後は時差ボケを引きずりながらの礼拝説教であった。強行軍であることは重々承知していたが、結婚記念日を意識して、夜7時からの演奏会に夫婦で向かった。

 

管弦楽:ロンドン交響楽団

指揮: サー・サイモン・ラトル

曲目: ・ジョン・アダムス 『ハルモニーレーレ(和声学)』

    ・エクトル・ベルリオーズ 『幻想交響曲』

日時: 2019年5月5日 午後7時〜

会場: バービカン・ホール(ロンドン)

 

ボストンでのモヤモヤを吹き飛ばす名演であった。特に『幻想交響曲』ではラトルの気合いが入った棒にオケが全力で応答。コンマスのローマン・シモヴィッチも明るい表情でメンバーを引っ張っていた。指揮者・オケ共に最後まで集中力を維持して聴衆を感動に導いた。バービカンの聴衆がこれほど興奮する様子は初めて見た。ラトル&ロンドン響のコンビ、とってもよい。ラトルもベルリン・フィル時代よりリラックスしている。この演奏会はネット配信され、すでに YouTube にアップされている。『幻想交響曲』は1時間46分頃から。終演後の聴衆の熱狂をご覧あれ。

https://www.youtube.com/watch?v=38QZY8DFvhw

 

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ロンドン交響楽団(LSO)にはもう1つ明るいニュースがある。それは悲願の新コンサートホールの建設が決まったことだ。サイモン・ラトルは以前から「ロンドンには世界に誇れるコンサートホールが必要」と力説してきた。彼がベルリンでのポジションを辞してロンドンにやって来たのは、母国のオーケストラを一流から超一流に変貌させるためである。ロンドンのオーケストラに必要なのは優れた音響の専用ホールである。

現在の LSO が本拠地とするのは「シティ」にあるバービカン・ホールだが、新ホールの場所はバービカンから目と鼻の先にある「ロンドン博物館(The Museum of London)」の跡地になる予定(同博物館は2023年まで開場を続ける)。この博物館、実はあの「アルダースゲート通り(Aldersgate Street)」にある(住所はロンドン・ウォール)」。私はバービカン・ホールに行くとき、最寄りの地下鉄駅「ウェスト・アクトン」からセントラル線で「セント・ポール」駅に向かう。その名のとおりセント・ポール大聖堂の最寄り駅である。地下鉄出口から北に向かう通りの途中に「ロンドン博物館」はある。そこから更に北上し地下鉄メトロポリタン線の「バービカン駅」までがアルダースゲート通りだ。1738年5月24日、この通りにあるモラヴィア派の集会に出席したジョン・ウェスレーは後に彼の日記でこう綴った。

"In the evening I went very unwillingly to a society in Aldersgate Street, where one was reading Luther's Preface to the Epistle to the Romans. About a quarter before nine, while he was describing the change which God works in the heart through faith in Christ, I felt my heart strangely warmed. I felt I did trust in Christ, Christ alone for salvation, and an assurance was given me that he had taken away my sins, even mine, and saved me from the law of sin and death."

アメリカ伝道旅行での挫折を経験した後、ウェスレーはここでいわゆる「第二の回心」と呼ばれる経験をした。その後のメソディスト運動の広がりについては周知のとおりである。

5月5日の夕方、妻と私は通りの脇にあるベンチに腰を下ろして夕食のサンドイッチを食べた。コンサートホールもいいが、由緒あるこの通りに再びキリスト教会が建てられないものかと思いに耽った。

 

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2019年4月23日 (火)

ボストンに到着

 

大西洋線のアメリカは近い。ロンドンから東海岸ボストンまで約6時間。

チェックインしたホテルの食堂で夕食。アメリカらしく炭火焼きハンバーガー、ボストンらしくクラムチャウダー(食べかけでの画像で悪しからず)とロブスターを添えて。ボストンのクラムチャウダーは本当に美味しい。ハズレの店はまずない。

シカゴ交響楽団のストは続いている。4月30日までの公演はすべてキャンセルとなった。今週中に5月第1週の公演予定が判るであろう。しかしそれにしても客商売の楽団がこうも長くストを続けるのはいかがなものか。シカゴ響ほどの楽団ともなれば、諸外国からコンサート目当てでわざわざやって来るお客さんもいることだろう。キャンセルとなれば、チケット代を払い戻してくれるだけは済まないはずだ。飛行機代はどうしてくれるとなるだろう。かといって航空会社が払い戻しに応じるはずがない。楽団側を支持していた聴衆も、そろそろ堪忍袋の緒が切れるのではないか。

 

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2019年4月19日 (金)

高学歴芸人、それが何か?

 

Photo_6 高学歴芸人。日本の芸能界で話題になっていると聞く。クイズ番組では活躍してるらしい。悪いけど、本業のお笑いはちっともおもしろくないなあ。それに比べてイギリスのモンティ・パイソン。画像のとおり高学歴連中だけど、本業のお笑いもおもしろい。

彼らのお笑いは時に高尚だ。この "Philosophy football(哲学者チームによるサッカー)" の動画などご覧あれ。ドイツ哲学者チーム vs ギリシャ哲学者チーム。あなたは各チームのスターティング・メンバーの何人をご存知だろうか? 因みに主審は孔子、線審の2人はアウグスティヌスとトマス・アクィナスだ。ゲーム開始早々、思索を始める両チームのメンバー(笑)。ドイツチームの監督はマルティン・ルター、控え選手はカール・マルクスだ。突如「ユーレカ!(発見した!)」と叫ぶアルキメデスからソクラテスへパス。そして最後彼がへディングシュートでゴールを決めた直後、動画の3分2秒付近からドイツ哲学者チームの抗議を実況するアナウンサー。

"Hegel is arguing that the reality is merely an a priori adjunct of non-naturalistic ethics, Kant via the categorical imperative is holding that ontologically it exists only in the imagination, and Marx is claiming it was offside."

 

これを笑えたらあなたも大したものだ。パロディーもこれくらい思い切って高尚に振らないとおもしろくない。

 

 

 

2019年4月17日 (水)

シカゴ交響楽団のストライキ

 

現在、イギリスはイースター休暇シーズンの最中。学校も休みなので、この時期は家族で旅行に出かける人も多い。公式の休日は、21日のイースターをはさむ 19日〜22日の4連休。ブレグジットの再延長でトゥスク EU大統領から「時間を無駄にしないように」と釘を刺されたにもかかわらず、英議会は11日間の休会期間に入ってしまった。国民は呆れている。この数年間でもっとも権威を落としたイギリスでの職業は「政治家」で間違いない。

私たち夫婦もイースター明けの22日からお休みをいただく。妻の実家があるアメリカに行く。楽しみの1つがシカゴ交響楽団の演奏会。音楽監督のリッカルド・ムーティが『ローマの松』を振るのだ。お国物(イタリア)だし、シカゴ響のパワフルなブラス・セクションに期待も高まる。ところが 3月10日に始まったストライキが未だ収束していない。これまでの演奏会はすべてキャンセルされているし、シンフォニーホールで開催予定だった他の楽団や演奏家のコンサートもすべてキャンセルとなっている。楽団員がホール前でピケを張っているためだ。今月 5日に経営側が最終提案を出したが、楽員組合側はこれを拒否。現時点で再交渉の目途は立っていない。指揮者のムーティは楽員組合側を応援しているらしい。

演奏会チケットの払い戻しはあると思うが、ボストンーシカゴ間の飛行機は格安チケットだからキャンセルしても払い戻しは期待できない。妻も初めて行くシカゴだから楽しみにしていたが、このままでは予定変更を余儀なくされるかもしれない。

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2019年4月15日 (月)

"4月12日" の演奏会で思ったこと

 

管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 
指揮: ダニエル・バレンボイム

曲目: ・セルゲイ・プロコフィエフ 『交響曲第1番 ニ長調 <古典交響曲>』

    ・グスタフ・マーラー 『交響曲第1番 ニ長調 <巨人>』

日時: 2019年4月12日 午後8時〜

会場: フィルハーモニー・ホール(ベルリン)

 

Img_5224 イースターの時期、ヨーロッパでは各地で音楽祭が開催される。日本でも例えばザルツブルク音楽祭(オーストリア)などはよく知られている。ドイツ・ベルリンにも、ベルリン国立歌劇場(Staatsoper Unter den Linden)が主催する<フェストターゲ>という音楽祭がある。毎年イースターの時期に、祝祭的オペラ上演と最上のコンサートの提供を目的に1996年から始まった音楽祭である。4月12日のダニエル・バレンボイム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のベルリン公演に行ってきた。ベルリン国立歌劇場は市内のウンター・デン・リンデン通りにあるが、このコンサートはベルリン・フィルの本拠地フィルハーモニーホール(Philharmonie Berlin)で行われた。

4月12日といえば、日本では東京大学の入学式が行われ、上野千鶴子名誉教授(ジェンダー研究)による新入生への祝辞が話題になった。このニュースは日本とは7時間遅れ(サマータイムがすでに始まっている)のドイツでも日本語ネットニュースで配信されていた。その時は祝辞の全文を読んだわけではなかったが、賛否両論の議論が沸き起こったというメッセージのところどころをピックアップして報道されていた。その中で私の印象に残ったのは、「第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。 」との上野氏の指摘、そして上野氏のメッセージを承けての冷泉彰彦氏のことば  <新入生の女子学生の割合が2割に満たない東京大学が「世界大学ランキング」を気にすることなど問題外>だ。断っておくが、普段、私自身は上野氏のジェンダー論や政治・経済に対する批評は多くの面で意見を異にする。しかし上野氏が示唆するメッセージは痛快である。特にこの晩、ウィーン・フィル公演を聴きながら(観ながら)そう思ったのだ。

  
Img_5208 Img_5212この晩のコンサートマスターは、ウィーン・フィル史上初の女性コンマス、アルベナ・ダナイロヴァさん(ブルガリア出身)だった。指揮者はベルリン国立歌劇場音楽監督のダニエル・バレンボイム。ウィーン・フィルは伝統的に首席指揮者を置かないので、招聘元の音楽監督が客演を務めた形だ。従って、この晩のコンサートマスターの指名は(指揮者ではなく)楽団の方針による。フェストターゲという晴れ舞台、尚且つ彼らの好敵手(ライバル)ベルリン・フィルの本拠地での演奏会だ。ベルリンの聴衆だって手ぐすね引いて待ち構えていることだろう。私はてっきり先々月のロンドン公演と同じく、ベテランのライナー・ホーネックさんが務めるものと思っていた。しかしふたを開けてみれば、楽団が指名したのはダナイロヴァさんだった。画像をご覧いただければお分かりのように、彼女は小柄な女性だ。圧倒的に多い男性楽団員の中では華奢にすら見える。正直なところ「大丈夫かなあ」と不安に思った。
 
Img_5214 しかし1曲目の「古典交響曲」が始まった途端、そんな心配は消し飛んだ。なんと溌剌とした演奏か! 彼女は小柄な分、全身で音楽し、オーケストラにインスピレーションを与える。プログラム後半、マーラーの交響曲第1番の第1楽章の最後の箇所、ティンパニーとの難しい掛け合いで、コンマスの彼女が休符を一瞬早く出てしまうミスを犯してしまった。楽章が終わって一部の聴衆から失笑がもれたが(彼女も視線で指揮者のバレンボイムに「ごめんなさい」を言っていた)、第2楽章からきちんと立ち直り、最終楽章では完全燃焼でオケを引っ張った。聴衆はもちろん「ブラボー!」の大歓声。画像のとおりバレンボイムも指揮台の前に出てあいさつと満足げであった。ダナイロヴァさんは檜舞台で見事大役を果たした。
 
結成以来、長年にわたって女性団員の入団を拒んできたウィーン・フィル。しかし彼らもついに1997年、女性ハープ奏者を団員に迎えた。この時は女性団員を入団させるか否かで大揉めに揉めた。その後、徐々に女性団員は増え、そして 2008年5月、定年引退したヴェルナー・ヒンクの後任として楽団史上初の女性コンマスが誕生した。この出現は世界中で驚きをもって受け取られた。しかし今日、4/12 の演奏会の如く女性コンマスが檜舞台で活躍する。22年前とは隔世の感がある。ウィーン・フィルは変わったのだ。単に女性比率という問題ではなく、実力があれば男であれ女であれ公平な機会で登用する方針に変わったということであろう。同時にそれは、男性団員たちが「男というのは自分より優秀な女性を不快に思うという弱さ」を克服する過程でもあったはずだ。これこそ上野氏が祝辞で指摘したことであり、東大が今後「死に物狂いで変わらなければならない」課題であると思う。そうでなければ彼らに世界大学ランキング云々を論じる資格はない。
 

2019年4月12日 (金)

ゴーン・イズ・ゴーン(Ghosn is gone.)

 

Macrons-22out22 カルロス・ゴーン氏は終わった。ゴーン・イズ・ゴーンである。この写真、今回の成り行きを先取ったような構図で意味深だ。マクロン仏大統領から「アウト!(出て行け)」と言われ神妙にするゴーン氏に見えなくもない。

自動車評論家の国沢光宏氏とか、ヤメ検弁護士の郷原信郎氏とか、意味不明にゴーン氏の肩を持ってきた著名人は大勢いる。その国沢氏もさすがに観念したようだ。シレッと、日産守れとか言っている。

ゴーンさん、終わった。日本人クルマ好きにとって大切なのは日産だ

 

郷原氏も、『組織の思考が止まるとき 「法令遵守」から「ルールの創造」へ』(毎日新聞社 2011年)を著した頃は冴えていたが、藤井浩人氏(2014年に収賄の疑いで逮捕・起訴された岐阜県美濃加茂市長 2017年12月26日に有罪確定)の弁護人を務めた頃から残念なことに(検察憎しで)思考が止まってしまったように思われてならない。古巣へのルサンチマンだろうか。

 

当ブログではゴーン氏の犯罪性に関しては一貫してきた。郷原弁護士はじめエリート諸氏より、元経済ヤクザの猫組長さんの方がよほど本質を突いていた。「蛇の道は蛇」なのだろう。彼はかつて国際的に暗躍していた。

ポチが泰然でいられる理由

 

よく思うのだが、インターネット全盛の時代でも、どうも日本にいると世界が見えなくなるらしい。ゴーンさんの件も、ちょっと日本から出て、突き放した目で眺めるなら本質は自ずと見えてくる。それが、日本にいると見えなくなるのだ。ネット全盛の時代でも。日本人よ、若者よ、もっと外に出よ!

 

そこの障子を開けてみよ、外は広いぞ」 (豊田佐吉

 

  

 

2019年4月11日 (木)

英国がドイツの軍門に降った日

 

昨晩の EU 臨時首脳会議だ。

ブリュッセル(EU 本部があるベルギーの首都)時間で日付が変わった11日未明に終了した EU 首脳による臨時会議。ブレグジット期限の再度延長を認め、結局、今年の10月31日となった。メイ首相は 6/30 までの延長を要望し、トゥスク EU 大統領は(短期の再延長は認めず)1年ほどの延長を示唆したが、(再延長に否定的な)マクロン仏大統領に押し切られる形で 10/31 に決着した。従って、マスメディアからはさっそく「ハロウィーン・ブレグジット」と揶揄されている。しかしそれでも「半年」という長期の再延長とすることで、ブレグジットは事実上「骨抜き」となった。

会議は、再延長に否定的なマクロン仏大統領と、トゥスク EU 大統領の長期再延長論に好意的なメルケル独首相の間で激論が交わされたと聞く。つまり会議の本質は英国をダシにした EU 内の主導権争いであったが、軍配はメルケル首相に上がった。1年には届かなかったものの、それでも半年という長期の再延長を(他の加盟諸国を味方につけて)マクロン氏に飲ませたからだ。ブレグジットが骨抜きになって将来英国が EU に残ることになっても、もはや EU 内では政治的に三流国扱いだ。ドイツにすれば「英国恐るるに足らず」であろう。

離脱期限が長期に延長されるほど、ブレグジットは骨抜きになる。EU の盟主メルケル首相と、リップサービスでは離脱を唱えながらも正体は「残留派」であるメイ首相の利害は一致した。それにしてもメルケルさんとは、転んでも(難民政策で CDU党首の座は追われても)ただでは起きない "女傑"・"海千山千の寝業師" だ。今頃、ほくそ笑んでいるに違いない。EU とは伏魔殿である。ハロウィーンなのだ。

メイ英首相を手玉に取ったメルケル独首相。そうとは気づいてか気づかずか、会議前に同色の服着てメルケル氏と無邪気に盛り上がるメイ氏。英国がドイツの軍門に降った象徴として後世に語られるだろう。因みに、両者とも「牧師の娘」である。

 

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2019年4月10日 (水)

【再掲】ダンケルク精神

 

我が人生もそろそろダンケルク精神を実践する時機かもしれない。以前の投稿の再掲載。

 

マークス寿子著 『総崩れのイギリス それでも踏ん張るイギリス人』
(草思社 2009年 1600円+税) pp. 225-226.
 
 
不況になって、人々がこれで正気に還れると言った時、もう一つの言葉が私の頭に染みついていた。それは「イギリス人にはダンケルク精神がある」という言葉だった。その言葉を「困難に出遭った時、必死で頑張る、みんなで助け合う不屈の精神」と私は解釈していた。その解釈は決して間違ってはいなかったが、"ダンケルク精神" の本当の意味は少し異なるということを最近になって発見した。
ダンケルク精神とは、1940年5月にイギリスのラムゼイ海軍大将が行った「撤退作戦」についていわれたものであった。ドイツ軍に占領された北部フランスのダンケルク港から漁船やタグボートや、あらゆる非軍事的船舶まで動員して、何の現代的装備も持たないまま九日間にわたって続いたこの作戦で、三十万人以上の英仏軍兵士(重傷者も含む)が無事ドーバーに撤退したのであった。
つまり、ダンケルク精神とは、「勝つ精神」ではなく、「負ける(引く)精神」(勇気といってもいい)なのであった。その精神が今もイギリスには残っていると人々は言うのである。大した装備もなしに、工夫と巧妙さと献身とで行われた作戦(玉砕ではない作戦)であった。
イギリス人は、アメリカ人のように100パーセントの完全さは求めない。ただし、make-the-best-of-it (何とかやる)主義である。文句も言い、不満な顔もするけれども、何とか不備な条件の下で生きていく精神、"うまくいく訳ないよ" と言いながらも、何とかやってしまう精神だという。
イギリス人は、輝くカナリー・ウォーフ、世界ナンバーワン(ツーか?)の金融センターから撤退するだろう。それも、一挙に派手にではなく、廃墟にならないように活かせるものは活かすように工夫しながら。ダンケルクで "降参" したのではなく、"撤退" して時機を待った、その時と同じように。
 

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2019年4月 4日 (木)

キープ・カーム・アンド・キャリー・オン

 

私のような在留異国人も含め、実際のところ英国民はブレグジットの話題にはうんざりしている。嫌気がさしている。政治家たちには問題山積の他の課題にもっと取り組んでもらいたいと。ただ不思議なことに、英国の経済は好調だ。

4/1 の時事通信(ロンドン)によると、

英調査会社IHSマークイットが1日発表した英国の3月の製造業購買担当者景気指数(PMI)は55.1となり、前月(52.0)から上昇した。13カ月ぶりの高水準で、景況感の境目となる50を上回るのは32カ月連続。欧州連合(EU)離脱前の駆け込み需要が追い風になったとみられ、特に在庫積み増しが顕著だった。

在庫状況を示す指数は前月の59.9から66.2に急上昇し、過去最高を更新した。ロイター通信によると、1992年の統計開始以来、先進7カ(G7)でも前例のない水準を記録した。

  

コリン・ジョイス氏は述べる(『ニューズウィーク日本版』コラム)

離脱に投票すればただちに経済的打撃に見舞われるだろうと言われてきたが、それは現実にならなかった。3年間の混乱や、ブレグジットをめぐる「混沌と危機」が深刻な影響をもたらしているだろうと思われているかもしれない。でも今のイギリスはこの40年超で最低の失業率(4%)で、インフレ率は目標に近い1.9%。GDP成長率は緩やか(1.3%)ながら好調の域にとどまっている。一応比較すると、フランスの失業率は8.5%、ドイツのGDP成長率は1.5%でイタリアのインフレ率は0.9%だ。

ブレグジットに敵意を抱く人でさえ、イギリス経済は「驚くほど耐性が高い」ことが証明されたと恨めしそうに語っている。公平に言えば現状のイギリスに関して数字を見ると良いものも悪いものも入り混じっているが、多くの人々が予言し、いまだに一部の人々はその証拠をみつけてやろうと躍起になっている、「経済的大惨事」とは程遠い状況だ。

 

イギリス人の標語「Keep Calm and Carry On キープ・カーム・アンド・キャリー・オン(平静を保ち、普段の生活を続けよ)」あるのみ。

 

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2019年4月 3日 (水)

誕生日カードを見ながら思ったこと

 

Birthday-card 今週の聖日は56回目の誕生日だった。教会員の皆さんが寄せ書きをプレゼントしてくださった。ロンドンの名物が描かれた素敵な誕生日カードである。寄せ書きには「ロンドンで迎える3回目のお誕生日 おめでとうございます!! 主の祝福と恵みの中に良き1年を!」とある。有難いことばである。赴任したのが 2017年3月23日だったから、確かに3回目の誕生日だ。年度では2年が経過した。もう2年も経ったのか。。短くもあり、他方で長くもあった。

寄せ書きを書いてくれたひとりびとりを思いながら、ふと先日の引退会見でのイチロー選手のことばを思い出した。(余談だが、アメリカとは深い関係にありながら、イギリスでは新聞・テレビを問わず、ベースボールの「ベ」の字の報道もない。大リーグや日本のプロ野球の情報はもっぱらインターネット頼りである。) 彼はこんなことを言っていた。

――前のマリナーズ時代、何度か「自分は孤独を感じながらプレーしている」と話していた。ヤンキース、マーリンズとプレーする役割が変わってきて、去年ああいう状態があって今年引退。その孤独感はずっと感じてプレーしていたのか。それとも前の孤独感とは違うものがあったのか。
 
「現在それ(孤独感)全くないです。今日の段階で、それは全くないです。それとは少し違うかもしれないですけど、アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。このことは……外国人になったことで、人の心を慮(おもんぱか)ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることはできたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。」
 
外国人になった自分を知ることで「人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れた」と彼は言う。言い換えれば、「外国人」としてポジティブな体験・ネガティブな体験の両方を経験する時間の経過の中で(特に後者の辛い体験を経る中で)、彼の精神世界は広がりと深まりを見せたということであろう。こういう経験というのは「本を読んだり、情報を取ることはできたとしても、体験しないと自分の中からは生まれない」。彼の言うとおりだと思う。私自身も16〜18歳の丸2年間、アメリカ人の家庭に居候し現地の高校に通った。また30代前半の時は、イギリスの神学校で3年間を過ごした。「外国人」になる経験は決して容易いことではない。しかし「外国人となったことで分かる世界」の恵みの広さ深さは計り知れない。

ロンドンの日本語教会に集う日本人クリスチャンたちも、イチロー選手と同じく「外国人となったことで分かる世界」の体験を持ったひとりびとりである。少々プライドが高いのは鼻につくが(笑)、基本的に「人の心を慮ったり、人の痛みを想像できる」(イチロー談)心優しい人たちだ。
 
日本の、特に地方のクリスチャンと同じ日本人ではあるが、彼らとはこの辺が違うなあと率直に思う。私が前にいた教会でも、教会運営の大事な場面で声を上げひいては非難されたり教会を去ることを余儀なくされた人たちは、不思議なことに「外国人となったことで分かる世界」の体験を持った人、または日頃から広い世界を知ろうと努めていた人たちであった。S国での留学経験があるT夫妻、F国人と結婚されたS姉、専門職を通じて各国での交流が深いH夫妻、経営者としての国際ビジネスマンであるM夫妻、英国での生活が長かったM姉、異文化交流に関心が高いY母子、等々。逆に在外生活の機会を得ながらも、精神世界を深められず「地方のメンタリティー」に埋没した人たちもいる。 
 
ロバート・P. エリクセン著『第三帝国と宗教 ヒトラーを支持した神学者たち(原題:"Theologians under Hitler: Gerhard Kittel, Paul Althaus, and Emmanuel Hirsch" )』(風行社 2000年)で著者エリクセンの見解を承け、訳者代表の古賀敬太氏は、当代随一の神学者たちが墜ちた原因として次のように述べる(尚、古賀氏は、個人的な環境の相違のみに原因を還元するのは問題とも補足している)。
 
・・・ティリッヒといった抵抗者の中にも自然神学や歴史神学(彼のカイロスの概念)の要素が多分にあり、また弁証法神学者の中にもゴーガルテンのようにナチスに加担した人々も存在したからである。このように政治的な態度と神学的教説との間の関連性を否定する著者は、結局の所ナチスに対して抵抗したか服従したかの原因を、個々の神学者が生まれ、育った個人的環境に求めている。つまり、ドイツの伝統的な観念論や民族に対する愛着を持ち続けていたアルトハウス、キッテル、そしてヒルシュがナチスを支持したのに対して、コスモポリタン的雰囲気の中で仕事をし、スイスやイギリスといった外国との関係が深く、ナショナリズムや民族主義を相対化することができたバルト、ボンヘッファー、そしてティリッヒはナチズムに反対したのである。(上掲書 pp. 380-381)
 
訳者の古賀氏がことわっているとおり、個人的な環境の相違のみに原因を還元するのは行き過ぎであろう。しかし、環境の違いの要因は決して小さくはなかったと思われる。イチロー選手の言うとおり、母国に住んでいただけでは見えない世界があることは確かなのだから。
 
 
Theologians-under-hitler
 

2019年3月31日 (日)

主のはかりごとだけが

 

Img_5160 ブレグジットをめぐる情勢は日本でも報道されご存知であろう。29日、英下院はメイ首相の離脱協定案を賛成286票反対344票で否決した。3度目の否決である。これに先立つ選択肢投票においても8つの選択肢すべてが否決された。議会が内閣からブレグジットに関する主導権を奪ったところで、所詮、議会も何一つ合意に至らなかったのだ。29日の否決によって離脱日は5月22日の日程はなくなり、自動的に4月12日となった。ハード・ブレグジットつまり「合意なき離脱」の可能性は一段と高まった。

29日の投票で明らかになったことがある。それは、誰が本当の離脱派で誰がそうでないかである。実は、議員の大半とメイ首相自身は残留派であり、マスメディアも官僚も、みんな残留派なのだ。メイ首相の協定案も、なんとか EU に留まる道を残そうとした内容である。労働党は協定案が可決されれば本当に離脱となるのではと恐れて反対し、協定案に賛成する保守党議員はこの案なら離脱の実現に至らないと思っている。要するに、議員の大半は実のところ「残留派」なのだ。現在の英国の混乱とは「国民の意思 vs 議会・内閣・官僚・マスメディア」の構図である。。僅差であれ(それでも4%の差がついた)、国民投票の結果は「離脱」であった。この国民の意思に飽くまで抵抗を続けているのが議会であり、英国のマスメディアである。

誤解しないでいただきたいのは、私は国民投票を賢明な方法とは決して思っていない。むしろポピュリズム(大衆迎合型政治)と看做し、独裁者が好む手法であって、いやしくも議会制民主主義の国家が安易に採用するやり方ではない。しかし他方で、国民投票で民意を問うという選択を英国は議会の正当な手続きで決めた。英国民もそれを諾として投票に参加した。

このブログではクリスチャンだけでなく一般の人たちも読者なので、今まではこの世での政治的力学の観点からブレグジットを論じてきた。しかし私は、ひとりのクリスチャンとして率直な見解を述べるなら、3年前の国民投票で示された英国民の意思とは、究極的には天地を統べ治められる神の御旨と信じている。そして私は日頃から「神の御心であるなら、人間がどんなに邪魔をしても、それは成就する」と信じている。逆も真である。即ち「神の御心でないのなら、人間がどんなにお膳立てしても、それは成らない」のだ。本当は残留を望んでいるメイ首相や圧倒的多数の議員たちそしてマスメディアがどんなに策を講じ、どれほどプロパガンダを重ねても、不思議なことに事態はブレグジット(離脱)へブレグジットへと、それも「合意なき離脱(ノー・ディール)」へと進んでいる。「合意なき離脱」の可能性が限りなく高まってはいるが、それでも不思議なことに英ポンドの下落はなく(むしろ徐々に上がって来ている)、失業率も EU 諸国に比べ低水準である。金融市場はノー・ディールも織り込み済みなのだろう。

4月12日に離脱それも「合意なき離脱」となるかは依然未知数である。しかしそうなったとしても特に驚きはない。それより、民意に抗い続ける英議会が本当に民主主義を体現していると言えるのか、そちらの方が心配だ。

 

人の心には多くの計画がある。

しかしのはかりごとだけが成る。

旧約聖書 箴言 19章21節(新改訳聖書第3版)

 

 

2019年3月25日 (月)

逆イールドカーブ、そんなことより

 

3月22日、欧州・米国・南米のいわゆる「世界同時株安」が起こった。アメリカの国債市場で「逆イールドカーブ」という右下がりの様相を示したのだ。イールドカーブ(利回り曲線)とは、債権の利回り(金利)と償還期間との相関性を示したグラフのことで、逆イールドカーブは長期の金利(市場の金利)と短期の金利(中央銀行の金利)とが逆転する現象(短期>長期)のことである。もちろん普通は長期の方が高い(短期<長期)。逆イールドカーブとは、従って、リセッション(景気後退)の兆しとされる。

原因はいろいろ言われているが、その1つとしてドイツの製造業の悪化が指摘されている。22日のドイツ製造業の PMI(Purchasing Managers' Index、購買担当者の景気指数)は「44」であった。50が基準であるが、3ヶ月連続で50を下回った。過去のデータでも、逆イールドカーブが起きた近い将来にバブルの崩壊が起きている。リーマンショックのときも2007年3月に逆イールドカーブが起きたそうである。米中貿易戦争、ブレグジット、南米ベネズエラ情勢、日本の10連休(市場が10日も止まっている!)と、これから数ヶ月ほど不安定要因がつきまとう。

心配事はいろいろあるが、ここは吉本新喜劇流「すち子と真也のパンツミー」よろしく、そんなことより「バプテスマ式(洗礼式)」である。企業の駐在員としてロンドンに赴任したYさん。昨年6月に初めて教会の礼拝に来られ、以来、熱心で真摯な求道者となられた。今年1月に信仰告白され、3月の役員会での洗礼諮問会を経て昨日(24日)のバプテスマ式(洗礼式)と相成った。画像(撮影は教会員のK兄)は受洗前の誓約の場面。Y兄は神と人との前で、主イエス・キリストを救い主として信じる信仰を明らかにし、キリストの体である教会に連なる表明をされた。

 

「あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。」(ルカの福音書15章7節 「聖書 新改訳 2017」)

 

この日、天地を統べ治められる神の関心は、逆イールドカーブよりY兄の受洗にあったことは確かだ。 

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2019年3月23日 (土)

佳境を迎えるブレグジット

 
@nifty ココログの投稿・管理画面が全面リニューアルした。慣れてないので使いづらい。今回の投稿は試運転。
 
ブレグジットは来週29日を前に大詰めを迎えている。EU 首脳会議では、メイ首相からの離脱日程延期の要請は加盟国27カ国の全会一致で承認された(5/22 か 4/12 のいずれか)。ボールは再び英議会側に返ってきた。「EU の強硬な態度で離脱に追い込まれた」と言いかねない英国側の非難を EU は上手く封じた。ギリギリのところで玉虫色に纏めるヨーロッパ人の交渉術には呆れるやら感心するやら。首脳会議での合意のポイントは次のとおりである。
 
・英議会での離脱案承認を条件に、離脱期限を5月22日まで延期
 
・離脱案が承認されない場合も4月12日まで延期
 
・英領北アイルランド問題の「バックストップ」に関する共同文書を承認
 
・離脱案は修正できない
 
・「合意なき離脱」への準備を継続
 
従って、とりあえず離脱日程の延期は承認されたが、「合意なき離脱」の状況はなんら変わっていない
 
29日付の離脱を目指していたメイ首相は忸怩たる思いであろう。しかしここに来て強硬離脱派の足並みが乱れてきた。「非常に悪い協定案でも離脱そのものが無くなるよりマシ」と考え直す議員が出て始めているからだ。メイ首相の協定案が可決される可能性も微かながら出て来た。一時はバーコウ議長から「一事不再議」の指摘で協定案の採決が滞ったが、EU 側の離脱日程延期容認で再投票の道が開けた。来週の英議会は3度目の協定案をどう採決するのだろうか。
 
ブレグジットという歴史的瞬間をイギリスで経験できる特権をうれしく思う。識者の中には「この勝負、EU 側の勝ちで詰んだ」と言う人もいるが、そうは思えない。離脱延期要請をそれでも飲むということは、EU 側も必死なのだろう。何とは言っても、英国は EU 加盟国の中で経済力で第2位、軍事力で第1位の大国だ。英国は、対 EU では貿易赤字である。換言すれば、ドイツをはじめ各国にとって英国は大切な取引先なのだ。
 
英国は金融立国であり、「シティ」の影響力はブレグジット後もまず揺るがない。対外資産は GDP の4倍であり(日本は 1.9 倍)、金融で稼いだ金でドイツ・フランス・イタリア製のクルマを買ってあげている。
 
フローで見るとイギリスの成長率は低いが、ストックで見ると大きい。2005年の日本の対外資産(グロス)は GDP の100パーセントだが、イギリスは400パーセントある。負債も415パーセントあるが、バランスシートの規模は日本の4倍である。イギリスの経常収支も赤字だが、問題は経常収支の帳尻ではなく、利用できる資産の規模である。4倍借金して4倍投資する社会のほうが豊かなのだ。 (池田信夫 『資本主義の正体 マルクスで読み解くグローバル経済の歴史』 PHP 2015年 pp. 187ー188)
 
それが証拠に、ブレグジットの状況下でイギリスの雇用は記録的な高水準である。2018年の10-12月期では、労働人口は前年同期比で44万4000人増加した。給料(賃金)はこの1年でインフレ分を調整しても3.4%上昇した。ホンダの撤退で 3,500人の失業が起こるが(関連産業も含めれば数万人への影響)、イギリス全体では毎日約 1,200人の雇用が生まれていることも事実だ。皮肉なことに、給料が上がっているのがアメリカやイギリスなどの「反グローバリズム」の国で、中国の景気悪化に引きずられる EU では雇用も給料も下がり続けている。フランスの「ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト)」運動は、つまるところ反グローバリズムのうねりであろう。
 
私が言いたいのは、ブレグジットは EU 側の一方的な勝利などではなく、「合意なき離脱」の場合、中長期でより大きなダメージを被るのはむしろ EU の方だということだ。その意味で、芸術的な交渉術でとりあえず離脱日程延期を容認した今回の EU 首脳会議は賢明な判断を下したと思う。強硬離脱派も「ブレグジットそのものがなくなるよりマシ」とメイ首相の協定案を考え直すかもしれない。本来は "ウィン・ウィン" の結果で終結しなければ、双方にダメージが及ぶのがブレグジットの教訓である。
 
 
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2019年3月17日 (日)

ペラギウスの徒

 

カール・バルトはイギリスのキリスト教を「ペラギウスの徒」と呼んだ。エーバーハルト・ブッシュの有名な伝記『カール・バルトの生涯 1886ー1968』(新教出版社)によれば、すでに1930年にそう判断を下していた。そして1956年7月4日、ランベス宮殿でのスピーチで「あなた方はみんなペラギウス主義者です」と叫んだらしい。

 
「イギリスの友人たちは・・・・当時の私の知識の段階での、聖書の権威と神の尊厳と道徳に対する信仰の優位を厳格に要求するという態度から、信仰の励ましを受けるというより、むしろそれに異和感を抱いたようです。しかし私は今でも忘れられないのですがーー私としては彼らからそんなことを聞かされるとは思いもかけませんでしたのでーーこの島国で私が出会った考え方に含まれていたペラギウス主義的要素に対して、残念ながら、まったく不躾な発言を押えることはできませんでした」ーー彼は、ブロークンな英語で「あなた方はみんなペラギウス主義者です(You are all pelagian)」と叫んだのである。 (E. ブッシュ著 小川圭治訳 『カール・バルトの生涯 1886ー1968』 p. 291)
 

 

 
長文の公開書簡「スイスからイギリスへの手紙」(1941年。E. ブッシュ著の「伝記」邦訳書では pp. 440-441 で言及されている)でも次のように述べている。
 
イギリスのキリスト教の伝統と現下の活動とが、こうした尋常ならざるーー能動的かつ受動的なーー成果に特別な参与をしている、ということ。これを私は今疑いません。貴国民の中で私をよくご存じの方々に、私は喜んでこう囁きたいと思います。私は、この出来事に直面して、わがイギリスの友人たちに時折非難の言葉としてかつて言わざるをえなかった多くの「ペラギウス主義」のことを、より甘く(マイルド)評価する気になっておりますよ、と。 (「スイスからイギリスへの手紙」 引用はカール・バルト 天野 有訳 『教会と国家 II 反ナチズム/教会闘争時代 』 pp. 524-525)
 
 

 

バルトは、例えば、 N. T. ライトやアリスター・マクグラスの神学をどう呼ぶのだろうか。相変わらず「ペラギウスの徒」だろうか。
 
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2019年3月16日 (土)

キリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィル定期演奏会(2)

 
この日のコンサートマスターはダニエル・スタブラーヴァ。カラヤンの時代から日本人コンマス安永 徹(2009年に退団)と共にアバド、ラトルらの首席指揮者に仕えてきたベテラン・コンマスだ。ノア・ベンディックス=バルグリーや樫本大進のような若手コンマスもいいが、時にベテランの登場はうれしい。反対に、各楽器の主だった首席奏者を見かけない。フルートのエマニュエル・パユも、オーボエのアルブレヒト・マイアーも、ホルンのシュテファン・ドールもいない。しかしこの夜の演奏にはまったく支障なかった。普通のオーケストラではコンサートマスター及び各楽器首席奏者(パート・リーダー)以下、厳格に席次が決まっているが、ベルリン・フィルにはそれがない。席が決まっているのはコンサートマスターと各楽器首席奏者のみで、他のメンバーは舞台に早く入って来た者から自由に好きなところに座るのだ。それだけ楽員の技術水準が高く、拮抗しているということなのだろう。さすがヴィルトゥオーゾ集団。
 
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プログラムの前半は、パトリツィア・コパチンスカヤ(Patricia Kopatchinskaja)を迎えてシェーンベルクの『ヴァイオリン協奏曲』。超難曲としてヴァイオリニストたちから恐れられている曲だ。1936年の作品で、全3楽章。約40分の演奏時間である。12音技法の手法で作曲されている。コパチンスカヤは今年1月に来日公演し、東京都交響楽団(大野和士指揮)とこの曲を協演している。
 
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YouTube での動画はともかく、コパチンスカヤの生演奏は初めてであった。演奏スタイルの奔放さとある種のエキセントリックさは稀代の名チェリスト故ジャクリーヌ・デュ・プレを彷彿させる。私にはそう映った。ヒラリー・ハーンの演奏するCDで事前にこの曲をさらったが、どうしても途中でうとうとしてしまう(名演奏なのだが)。しかしコパチンスカヤの視覚と聴覚に訴える圧倒的なパフォーマンスは私だけでなく全聴衆の心を鷲掴みにした。エキセントリックな解釈がこの曲にふさわしいかどうか疑問に思う聴衆もいたかもしれない。12音技法の音列と強度のモードを厳格にではなく、感情移入するほど奔放に演奏することの是非である。
 
ここで「エキセントリック(eccentric)」の意味を考えてみたい。英和辞典では「変な、変わっている、異常な、奇矯な」と定義してるが、この語は、少なくともイギリス英語では、strange, queer, unique, unusual などの語と違い、良い変わり者の意味として使われている。エキセントリックのもっともふさわしい定義は、内村鑑三 による、2つの中心を持つ楕円形としての真理の定義ではないか。
 
「真理は円形にあらず、楕円形である。一個の中心の周囲に描かるべきものにあらずして、二個の中心に描かるべきものである。あたかも地球その他の遊星の軌道のごとく、一個の太陽の周囲に運転するにかかわらず、中心は二個ありて、その形は円形あらずして楕円形であるという。・・・・人は何事によらず円満と称して円形を要求するが、天然は人の要求に応ぜずして楕円形を採るはふしぎである。楕円形はこれをいびつと言う。曲がった円形である。決してうるわしきものではない。しかるに天然は人の理想に反して、まる形よりも、いびつ形を選ぶという。」
 
パトリツィア・コパチンスカヤのシェーンベルク解釈は「2つの中心を持つ楕円」という意味でまさにエキセントリックであった。コパチンスカヤは、シェーンベルク「第2期」の傑作『月に憑かれたピエロ(Pierrot lunaire)』(1912年作)とこの協奏曲の間に相通ずる語法を見出したと作品解釈の根拠を語っている。作曲者の12音技法ルールの適用が必ずしも厳格でなく、むしろ後期ロマン派の無調的色彩すら感じさせる本作品(特に第3楽章)において、12音という新しい音楽語法の「厳格さ」(前衛的であるというベクトル)と、12音以前への回帰という「反動」という2つの中心を持つ<歪さ>をコパチンスカヤは見事な楕円として描いてみせた。
 
演奏後、聴衆の熱狂に応えて、チェロの首席奏者と即興風な二重奏をアンコールとして彼女は弾いてくれた。(モーリス・ラヴェル作曲『ヴァイオリンとチェロのためのデュオ 第1番』)
 

2019年3月 9日 (土)

キリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィル定期演奏会(1)

 
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮: キリル・ペトレンコ(Kirill Petrenko)
曲目:・アルノルト・シェーンベルク  『ヴァイオリン協奏曲 Op. 36』
       ※パトリツィア・コパチンスカヤ(ヴァイオリン独奏)
     ・ピョートル I. チャイコフスキー 『交響曲第5番 ホ短調』
日時: 2019年3月8日 午後8時〜
会場: フィルハーモニー・ホール(ベルリン)
 
 
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今秋のシーズンから首席指揮者兼芸術監督に就任するキリル・ペトレンコが振るベルリン・フィルの定期公演。次期シェフに選出されて後、ドイツで(定期公演)、イギリスで(BBC プロムスの登場)で、そして世界中に配信される<デジタル・コンサート・ホール>で「ペトレンコ旋風」がクラシック音楽界を席巻している。
 
今回の定期公演は、昨夏以来のペトレンコの久々の登場、ソリストに現在人気の(良くも悪くもエキセントリックな)ヴァイオリニスト、パトリツィア・コパチンスカヤを迎えてのプログラムであること、そしてメインにチャイコフスキーの5番を据えたことで前評判の高い演奏会となった。会場のフィルハーモニー・ホールは普段にも増しての聴衆の数と熱気に満ちていた。(会場に着いた時点でホール1階のクロークがいっぱいになっていたなんて初めての経験だ。)
 
ペトレンコ&ベルリン・フィルのコンビは、地元ベルリンや英国ロンドンの聴衆にはお目見え済み(本ブログのここここを参照)だが、その他の場所では未だほとんど登場の機会がないのではないか。今年11月にベルリン・フィルの日本公演が決定しているが、同行する指揮者はズービン・メータとのこと。ペトレンコ率いるベルリン・フィルが日本の聴衆へお目見えするのは早くて2020年以降で、お預けを食う結果になってしまった。その意味で、昨年9月のロンドン公演に続き今回の定期公演で一足早くこのコンビによる演奏会に接することができた恵みに感謝している。本ブログですでに書いたとおり、私は昨年のロンドン公演でペトレンコの大ファンになってしまった。彼の指揮ぶりは私の本業にも得難いインスピレーションを与えてくれるのだ。今回は記念すべき初回の「追っかけ」であった。
 
 
と、ここまで書いたところで時間切れとなってしまった。ロンドンに帰って本業に戻らなければならない。きょうは大事な洗礼準備クラスがある。そして明日は礼拝だ。これから旅先での説教準備に入る。来週に続きをお届けできればと思っている。
 
 

2019年3月 8日 (金)

ロイヤル・コンセルトヘボウ管の定期演奏会

 
管弦楽:ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
指揮: ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン(Jaap van Zweden)
曲目: グスタフ・マーラー 『交響曲第7番 ホ短調』
日時: 2019年3月7日 午後8時15分〜
会場: コンセルトヘボウ(アムステルダム)
 
 
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現在、ニューヨーク・フィルハーモニック音楽監督のヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮によるロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(以下 RCO)の定期演奏会。本来、この公演はダニエレ・ガッティが振るはずであったが、セクハラ疑惑で彼は首席指揮者の地位を解任されてしまった。これは本ブログでも報告済みだ。RCO は従って、2018-2019年のシーズンは途中から首席指揮者不在となり、代わって客演指揮者たちがピンチヒッターを努めている。3月上旬に予定されていたマーラー7番の公演(3/7 から3日連続)は、かつて RCO で16年間(1979-1995年)にわたってコンサートマスターの任にあったズヴェーデンに白羽の矢が立てられた。
 
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マーラーの7番は、正直なところ、何度聴いても最終楽章(第5楽章)しか印象に残らない(マーラーさん、ごめんなさい)。コンマス出身のズヴェーデンはさすがオーケストラを知り尽くしている。まして古巣のオケだ。指揮者としてのキャリアは「中堅」だが、指揮ぶりはまったく危なげなかった。RCO のメンバーも<先輩>に十全の信頼を寄せているのが分かる。
 
しかし気になることもあった。いつから RCO のコントラバス・セクションはボウイング(運弓法)をドイツ式(ジャーマン・ボウ)からフランス式(フレンチ・ボウ)に変えたのだろう。ベルナルト・ハイティンクの時代(1961-1988年)にはあり得なかったことだ。ズヴェーデンはハイティンクと後任のリッカルド・シャイーの両者に仕えたが、昨晩のコントラバス・セクションはフレンチ・ボウであった(私の座席から見えた限りであるが)。するとズヴェーデンはシャイーから受け継いだのだろうか・・? 昨晩は現在のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の響きだったかもしれないが、私が知っている旧称アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の響きではなかった。
 
オケの響きは変わっても、コンセルトヘボウというコンサートホールの音響は相変わらず素晴らしい。オーケストラの音はこのようなホールで聴きたいものだ。残念ながら、コンセルトヘボウに比べればロンドンのバービカン・ホールは月とスッポンだ。先月のウィーン・フィルには気の毒だった。彼らの本拠地ウィーン楽友協会ホール(ムジークフェライン)も素晴らしい音響だから。
 
数時間後にアムステルダム中央駅から列車でベルリンに向かう。土曜日は今月下旬に洗礼を受けるY兄の洗礼準備クラスがある。ロンドンに戻る。旅先で次聖日の礼拝説教準備に勤しむ。
 
 

2019年3月 6日 (水)

聖書論と批判的実在論

 
普通に一般信徒の目線で考えるなら、「聖書は誤りなき神のことば」という命題はあの<エホバの証人>でも信じている。大事なのは、そう信じている者がどう聖書を読むかの解釈の問題に立ち入って行かざる得ないことではないか。その場合「そう信じている者」という<信仰>の前提が重要になる。そうなるとやはり聖書論とか聖書観も古来の「知解を求める信仰」の事柄と思われてならない。
 
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ケンブリッジの理論物理学者にしてイギリス国教会司祭ジョン・ポーキングホーン「批判的実在論(critical realism)」の説明が一番分かり易い。「知解を求める信仰(fides quaerens intellectum)」とは、「信仰へのコミットメントは理解を深め、訂正していく方法である。実在は、われわれのところにやってくる洞察をわれわれが信頼するときに、知られるようになる。(Commitment to belief is the way to deepen and correct understanding; reality is made known to us as we trust the insights that comes to us. )」(画像邦訳書  p. 162) という意味で、まさに批判的実在論ではないか。してみると、解釈学的であることと「批判的実在論」には親和性がある。
 
科学のすべての学説が生き残るわけではない。ふるいに分けられ、物理的世界をよく説明できた学説だけが、受け入れられていく。そういう意味で、フィリップ・キッチャーの次の言葉はなかなか分別があるというものだ。「われわれの理解は、あとあとそれによって説明される現象が、修正を受けつつ増えていくことによって進歩する」。彼は進化論に関する科学のことを言っているのだが、私は同様なことが、現象的なことだけではなく、概念的なことも含めて、もっと広くあてはまると思う。私は、多くの科学者同様、科学の進歩とはわれわれが物理的世界を操作する能力にではなく、現実の自然の知識を得る包容力にある、と信じている。一口で言えば、私は実在論者なのだ。もちろんそのような知識はある程度部分的であり、訂正もできる。われわれが到達しうるものは、絶対的な真理なのではなく、十分に確からしいというものなのである。われわれの方法は経験の創造的解釈なのであって、経験からの厳密な演繹なのではない。だから私は批判的実在論者である。(Our attainment is verisimilitude, not absolute truth.  Our method is the creative interpretation of experience, not rigorous deduction from it.  Thus, I am a critical realist.)(上掲画像邦訳書  p. 137、太字はのらくら者による)
 
 
聖書論には、批判的実在論の考え方が必要だと思う。啓示の痕跡から到達できるのは、十分に確からしいことであって、厳密な演繹としての絶対的な実在そのもの(啓示自体)ではない・・。(そもそも「〜論」とか「〜観)という語を使った時点で「理論」の枠組みを採用したことに他ならない。「理論」には実在の階層構造の一部がすでに削ぎ落とされているのだ。)「誤りなき」(神のことば)とはどのような意味なのか、ここで「実在の階層構造」という考え方で、丁寧に説明(ポーキングホーンが述べるところの<創造的解釈>)をして行く必要があると思う。
 
 

2019年3月 1日 (金)

マリアンヌ・クレバッサ

 
昨晩のフィルハーモニア管弦楽団(Philharmonia Orchestra)演奏会。
 
指揮: エサ=ペッカ・サロネン
独唱: マリアンヌ・クレバッサ(メゾ・ソプラノ)
曲目:  ・クロード・ドビュッシー  管弦楽のための『映像』から「イベリア」
      ・ルチアーノ・ベリオ 『民謡(Folk Songs)』から11曲※
       <休憩>
     ・フランコ・ドナトーニ 『ESA 〜サロネンのために〜』 
     ・モーリス・ラヴェル 歌曲 『シェエラザード』※
     ・オットリーノ・レスピーギ 交響詩『ローマの松』
      ※マリアンヌ・クレバッサ独唱(オーケストラ伴奏)
日時: 2019年2月28日 午後7時30分〜
会場: ロイヤル・フェスティバル・ホール(ロンドン)
 
 
 
曲目から判るとおり、演奏会のコンセプトはフランスとイタリアの作曲家の作品。ドビュッシーとラヴェルはフランス、ベリオ・ドナトーニ・レスピーギはイタリアである。ベリオとドナトーニは20世紀の前衛作曲家である。
 
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ベリオの『民謡』とラヴェルの『シェエラザード』を独唱したマリアンヌ・クレバッサ。私は彼女の実演を初めて聴いたのだが、才能ある非常に優れた歌手との印象を受けた。1986年生まれ、フランス出身のメゾ・ソプラノ。2008年にフランスで、2012年にはザルツブルク音楽祭でデビュー。以降、ブレーメン、ミラノ・スカラ座、ベルリン国立歌劇場、パリ・オペラ座にデビューし、アメリカではサロネン指揮のシカゴ交響楽団と共演している。今後はウィーン国立歌劇場やアムステルダムでの公演もひかえている。将来有望な成長株だ。
 
CDでも2016年のデビュー盤に続き、翌年には『秘め事 〜フランス歌曲集』を発表した。注目は、伴奏をあの「鬼才!天才!ファジル・サイ!」が受け持っていることだ。YouTube に彼女がサイの伴奏で、昨晩の演奏会でも歌ったラヴェルの『シェエラザード』から「アジア」を歌う動画がアップされている。クレバッサの歌声に、サイの考え抜かれた鮮やかな伴奏が花を添える。
 
ところで昨晩の演奏会。プログラム最後の『ローマの松』。終曲「アッピア街道の松」は、舞台上のフル・オーケストラの他にパイプ・オルガンと客席3方向に配置した金管が立体的に炸裂する圧巻の演奏であった。なんとなく醒めているロンドンの聴衆もこれには大興奮。左隣のインド系とおぼしき中年男性は立ち上がり、ブラボーを何度も絶叫していた。レスピーギの『ローマの松』は、クラシック音楽に関心がない人でも一度実演(できれば大編成オーケストラで)を聴くことをお薦めする。勇壮な終曲「アッピア街道の松」で興奮すること絶対に間違いなしである。
 
 

2019年2月22日 (金)

「合意なき離脱」をめぐって

 
ブレグジット(EU からの離脱)が完了する3月29日が迫る。議会は「EU との再度の交渉を」と決議したが、「合意なき離脱」が限りなく現実味を帯びている。私は思う。もはや一番大事なことは議会で決められるのではなく、別の場所ではないかと。正確には別の場所で「あった」と言うべきか。私は昨年7月に以下の投稿をした。
 
 
その中で、トランプ米大統領の意味深長な言葉に注目した。
 
ヘルシンキでの米ロ首脳会談に先立ち、トランプ大統領は英国を公式訪問した。メイ首相との会談でトランプ氏は「EU を訴えろ(Sue the EU.)」とアドバイスしたらしい(トランプ氏は「提案」と言い直してオブラートに包んでいるが)。メイ首相が BBCテレビ 朝のトーク番組で明かしていた。ブレグジット(Brexit, EU からの離脱交渉)で、メイ首相が「迷首相」になり果てている姿にトランプ大統領は業を煮やしたのだろうか。メイ氏は「それはやり過ぎ」と一笑に付したそうだが、私はトランプ大統領の言葉をイミシンに捉えている。「訴えろ」とは字義的・法的意味ではなく、「交渉なんてやめてしまえ」という意図だろう。実際、トランプ氏は中国との関税戦争に突入したことは周知のとおりだ。
 
 
メイ首相の壊れた蓄音機のような同じ主張の繰り返しに、当初私はこれを彼女自身の宰相としての欠陥と看做していた。ところが最近は、合意なき離脱はすでにメイ首相の織り込み済みのシナリオではないかと思うようになっている。換言するなら、イギリスは合意の意思なしということだ。では、いつ彼女がそのように腹をくくったのか? それがトランプ大統領との会談であったと推察している。一番大事なことはここで決まった。イギリス首相は定期的に女王に謁見し国政の報告を行うが、もしかするとエリザベス女王も「イギリスは合意の意思なし」を了承済みなのかもしれない。
 
「合意の意思なし」を EU 側も悟ったのかもしれない。トゥスク EU 大統領の「合意なき離脱を推進するグループには "地獄の特別な場所" がふさわしい」との発言もこうしてみると合点が行く。合意なき離脱を推進するグループとは、英議会の離脱強硬派のことを指しているように見えながら、究極的には「EU を訴えろ」とメイ首相に助言した(命じた?)トランプ政権のことではないか。
 
アメリカのシナリオは何か? ズバリ中国との貿易・関税戦争という<新冷戦>である。世界経済の覇権戦争と言ってもよい。中国と EU はズブズブの関係だ。中国との貿易戦争は EU 解体のトリガーを引く。そしてアメリカの標的は「ドイツ銀行」と見る。株式市場でリーマン・ショック級またはそれ以上の「売り」があるとすれば、それはドイツ銀行破綻の他にない。世界的な金融危機は日本にも影響を与える。日経平均株価は暴落し、消費税増税も再度見送られるかもしれない。
 
自国及び世界経済へのそれほどのダメージを覚悟してでも遂行するアメリカの「中国潰し」。トランプ政権の本気度はそれほど凄まじいと見るべきでないか。昨年10月4日ワシントンでのペンス副大統領の演説は、貿易などの経済だけでなく安全保障分野でも中国と断固対決して行くというまさに「本気の宣戦布告」であった。ブレグジットは米中新冷戦と一蓮托生だ。いずれにしても、3月29日前後の情勢に目が離せない。
 
 
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2019年2月21日 (木)

ウィーン・フィルのロンドン公演

 
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮: アダム・フィッシャー
曲目: グスタフ・マーラー 『交響曲第9番 ニ長調』
日時: 2019年2月20日午後7時30分〜
会場: バービカン・ホール(ロンドン)
 
 
アダム・フィッシャー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のロンドン公演。17日のフランス・リヨン、19日のベルギー・アントワープに続くウィーン・フィルの国外ツアー。最終日だったこともあってか気合いの入った、期待に違わぬ素晴らしい演奏会だった。
 
特に第4楽章での雄渾の弦楽アンサンブル、夢幻のピアニッシモに酔いしれた。アダム・フィッシャーも渾身の指揮ぶり。マーラーの死生観を、楽章を通じて明瞭なフレージングとアーティキュレーションで見事に解釈してみせた。アダムには、私にとっての最高の賛辞をささげたい。昨夜の第4楽章は、1971年にバーンスタインがウィーン・フィルを振った演奏(DVD 版)に勝るとも劣らなかった、と。あの時のバーンスタインにはマーラー自身が憑依(ひょうい)した如きであったが、昨晩のアダム・フィッシャーにはそのバーンスタインが憑依していた。結果、昨年聴いたラトル&ロンドン響(ロンドン)、ハイティンク&ロイヤル・コンセルトヘボウ管(アムステルダム)の演奏を遙かに凌駕する出来であった。
 
この日のコンサートマスターはライナー・ホーネックだった。ベテランのライナー・キュッヒルが引退した現在、後輩コンマスのフォルクハルト・シュトイデやウィーン・フィル史上初の女性コンマス、アルベナ・ダナイロヴァらと共にオーケストラを堅実に支えている。ホーネックは私とほぼ同年代だが、十分な貫禄と威厳をオーラとして放っていた。昨年2月にニューヨークで聴いたシカゴ交響楽団は指揮者・オケ共に世代交代の見通しに不安を感じたが、ウィーン・フィルは順調にスムースに進んでいるよう見受けられた。伝統のウィーン・フィルも時代の趨勢には勝てぬか、女性楽団員も確実に増えている。これは良いことだ。
 
この日のオケにはビオラ・セクションにティロ・フェヒナー氏もいたが、残念ながら会場で奥様の女優・中谷美紀さんを見かけることはなかった。芸能ネタで失礼。
 
 
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2019年2月20日 (水)

トヨタ・スズキ連合はホンダ英工場を買い取れば?

 
しばらくブログ更新は滞ると言いながら、舌の根も乾かぬうちに新規投稿とは我ながら呆れる。例のホンダ英生産工場閉鎖のニュースが日英のみならず世界的なニュースになっているので一言書きたくなった。イギリスでは、ホンダのニュースに先立って、日産がサンダーランド工場でのエクストレイル(SUV)次期モデル生産計画を取りやめる発表もあった。英国民や英政府にとって二重のショックだったわけだ。
 
ホンダの英国での生産撤退の理由については諸説ある。ブレグジットや「日本・EU 貿易連携協定」などの他、八幡和郎氏は「日本のメーカーが EU のなかで特殊な立場にあるイギリスにヨーロッパの拠点を置くことは危険で間違った選択だ」と1980年代から一貫して反対してきたとのこと。ブレグジットを鑑みれば、これはこれで納得の行く見識であると思う。
 
しかし個人的には、自動車評論家・国沢光宏氏の意見にまったく同感である。
 
 
私自身も自動車会社 OB として長年この業界をウォッチングしているが、ここ何年かでホンダは本当にヘタレの会社に成り下がった。自動車本体の体力不足は、会社のヘタレ体質を体現しているに過ぎない。この度のイギリス生産撤退の発表もそうだ。国沢氏が叱咤するように「本来なら撤退でなく欧州で売れるクルマ作って再び勝負に出るべき」なのだ。赤字を恐れ、日欧貿易連携協定に乗っかって欧州向けは日本から輸出すればよいなどとは敗者の論理ではないか。
 
さて、ここからは本ブログの基本コンセプト「床屋談義の域を出ない」つぶやきである。そのつもりで読んでほしい。
ホンダ撤退のニュースに、わが妻はこうつぶやいた「トヨタとスズキがホンダの工場を買い取ればいいのに」。さすがわが女房殿である。私もこれは良いアイデアだと思う。トヨタとスズキはすでに業務提携を行うことで合意済みだ。ホンダが英工場を手放すなら、トヨタ・スズキ連合が買い取って将来の電気自動車の欧州での開発&生産拠点にすればよい。メインの輸出先はスズキが市場を占有するインドである。インドでのスズキ・ブランドは突出している。スズキはトヨタの電気自動車開発力の支援を受け、トヨタはスズキが先行する巨大市場の恩恵を受ける。お互いにウィン・ウィンの関係ではないか。将来的にはこの連合によるインドでの生産・販売もありだろう。
 
スズキはアメリカからは撤退したが、欧州ではハンガリーで生産を続けている。イギリスでもスズキのブランドは結構名がとおっている。今後ブレグジットによって、イギリスは欧州市場での縛りから解き放たれ、いやがおうにも再び「大海原」に出て行かざるを得ない。特に「イギリス連邦諸国」との貿易や「CPTPP環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定 ) 」への参加は喫緊の課題だ。将来のインド市場を見据えたトヨタ・スズキ連合によるイギリスでの開発&生産計画はイギリス政府にとっても「渡りに舟」と思うのだがどうだろう? 
 
当面の課題は「ホンダ撤退後、さしあたっての生産や雇用をどう維持するか」である。ホンダ工場で経験を積んだスキルある従業員たちをみすみす手放すのはもったいない。彼らの雇用を守りつつ、現行自動車の生産と将来の電気自動車生産を両立させる方法はないものだろうか? ここはひとつ知恵を絞って、トヨタとスズキの英断に期待したい。
 
最後に、一部の識者が言うような「ゴーン氏逮捕」が日仏間の外交問題になることはないが、今回の撤退発表は日英間の将来に禍根を残す外交問題に発展しかねないことを懸念している。それにしてもホンダである。ブレグジット目前のイギリスが一番苦しいこの時期に撤退を発表するとはKYも甚だしいではないか。「ブレグジットが理由ではない」なんてイギリス人は誰も信じないぞ。「見捨てられた」という将来の禍根を残すだけだ。日本企業はここで踏ん張ってこそ、イギリスの真の友になれるというものだ。
 
 
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2019年2月19日 (火)

P. シュトゥールマッハーの聖書神学

 
18日午後6時(イギリス時間)BBCニュースのトップはホンダのイギリス撤退の報であった。イギリス南西部の町スウィンドンにある生産工場を2022年に閉鎖するとのこと(2/19 本日ホンダから正式な発表があり、2021年中の閉鎖であることが明らかになった)。3, 500人の雇用が失われ、部品会社など関連企業も含めると地域経済ひいてはイギリス経済に大きな影響を与えることは必至だ。英北東部サンダーランドに工場がある日産、英中部ダービーに工場を持つトヨタはこれからどうするのだろうか。ブレグジットとつい先日(2/1)発効した「日本・EU 経済連携協定」が関係していると思われる。詳しい解説は割愛する。いずれにせよ今後、日本からの対英投資は縮小し、英国から多くの日本人が去るのは確実だ。どうなる在英日本語キリスト教会?!
 
 
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最近、ブログの更新が滞りがちで申し訳なく思っている。実はある読書に没頭している。
 
画像はペーター・シュトゥールマッハーの『新約の聖書神学Biblishce Theologie des Neuen Testaments Band 1)』第1巻初版(1992年)ドイツ語原書である。1994年にウィクリフ・ホールに入学して、デイヴィッド・ウェナム先生の書斎で見かけたのが最初だ。その後ドイツ・テュービンゲンを訪問した折、現地の書店(ヘルマン・ヘッセが書店員をしていたヘッケンハウアー書店)で購入した。ドイツ語をすらすら読める語学力はないので、流し読み程度で間もなく「積ん読」となった。しかしこの本は英語圏の新約学の世界では早くから注目されていた。
 
ペーター・シュトゥールマッハー(1932ー )はテュービンゲン大学プロテスタント神学部新約聖書学教授を長くつとめ(1972ー2000) 、その後は名誉教授となった。E. ケーゼマンの高弟であるが、ケーゼマンの師ルドルフ・ブルトマン以降のドイツ・プロテスタント聖書学の流れからは距離を置く学風を貫いてきた。アドルフ・シュラッターの伝統への回帰を目指し、テュービンゲンでの盟友はマルティン・ヘンゲル教授だった。従って英語圏のプロテスタント、特に福音主義陣営から好意的に受け入れられ、比較的多くの著作が英語に翻訳された。シュトゥールマッハー自身もたとえば英国のティンデル・ハウスや北米の福音派神学校の招きに応じて講演やレクチャーを行ってきた。日本語に訳された著作としては『新約聖書解釈学(原題:Vom Verstehen des Neuen Testaments: Eine Hermeneutik)』(斉藤忠資訳 日本基督教団出版局 1984年)がよく知られている。
 
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『新約聖書解釈学』を読んだ人はお分かりのように、シュトゥールマッハーは新約聖書の専門家でありながら教義学/組織神学や歴史神学の造詣もまことに深く、ドイツ語圏聖書学者に共通する博学の資質を有している。聖書学と組織神学が重なる領域として、シュトゥールマッハーの関心は(旧約および)新約聖書全体を総合する「聖書神学」の構築である。それゆえ、上記『新約の聖書神学』は彼の magnum opus(研究の集大成としての傑作)となる。第1巻の初版は1992年、第2巻の初版が1999年にそれぞれ刊行された。しかし不思議なことに、英語圏で早くから注目されながらその英訳はとんと出現しなかった。その間に、聖書神学の方法論を語った『聖書神学をどう行うのか?(原題:Wie treibt man Biblishce Theologie?)』の英訳と日本語訳がそれぞれ出版された(画像参照)。しかし本論である『新約の聖書神学』の英訳が刊行される気配は全くなかった。
 
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しかしついに昨年2018年、満を持して英訳書が登場したのだ。英ケンブリッジ大学で学位取得し、現在シカゴのイリノイ大学(University of Illinois at Chicago)で教鞭を執るダニエル・ベイリー(Dr Daniel P. Bailey)が翻訳し、G. K. ビール(G. K. Beale)が序文を寄せている。翻訳の底本になったのは、原著第1巻が2005年の第3版、第2巻が2012年の第2版である。画像のとおり、英訳版は1冊の合本となった。翻訳に関する情報はベイリーが「訳者序文」で詳しく説明している。彼は単に翻訳だけでなく、専門の新約学者として原著の版を見比べながら原著で省かれた記述を敢えて英訳では復活させるような一種の編集作業も行っている。もっともシュトゥールマッハーは英語もバリバリに出来る人なので、英訳文には目を通し、そのような編集も著者の了解済みであることはもちろんだ。翻訳者ベイリーはまた、本書最後で Biblical and Greco-Roman Uses of Hilasterion in Romans 3:25 and 4 Maccabees 17:22 と題した章(優れた論文!)を寄稿している。原著にはない(英訳本だけの)「付録」である。因みに「ヒラステーリオン(hilasterion)」とは、例えば新改訳聖書(2017)ではローマ 3:25や I ヨハネ 4:10 で「宥めのささげ物(第3版では「なだめの供え物」)」と訳されているギリシャ語である。
 
手元の原書第1巻初版と見比べてざっと目を通した印象では、シュトゥールマッハーは学的進歩の成果をできるだけ反映させていることはもちろんのこと、ドイツ・プロテスタントの本流として伝統的なルター派神学(信仰義認論)に立脚しつつ英語圏新約学との対話をより深めたことが窺い知れる。こうしてみると上記『新約聖書解釈学』も本書の方法論のひとつであり、その意味で極めて解釈学的である。特筆すべきは、NPP(パウロ神学の新しい視点)や N. T. ライトの神学も議論の射程に入っていることだ。それらは文献表や脚注そして索引を見れば明らかである。
 
原著第1巻初版(1992)から26年を経過しての英訳書登場であるが、このタイミングでの英訳刊行の意義はあるのだろうか? 私は十分にあると思う。特に NPP や N. T. ライトの提示する信仰義認論と「(表面的皮相的な対話ではなく)本格的な対話」を願うならば、本書は必読の書と考える。とはいえ、私もまだ読み始めたところだ。しばらくは没頭したい。悪しからず、ブログ更新は当分の間滞ることをこの場で申し上げておく。
 
 

2019年2月13日 (水)

立ち読み

 
昨日は、レディング(Reading)での家庭集会の後、オックスフォードまで足を伸ばした。例によってブラックウェル書店で神学書の立ち読み。
 
N. T. ライト教授への献呈論文集 "Essays in Honour of N. T. Wright: One God, One People, One Future" を3時間ほど立ち読みした。以前はともかく、私は基本的に論文集は購入しないことにしている。大きな声では言えないが、水準の低い「書き散らし」論文が有名な学者にも結構あるからだ。さすがに N. T. ライトへの献呈論文ではそのような書き散らしは見当たらなかった。皆、気合いを入れて執筆している。でも70ポンドを超える定価。ブラックウェル書店では卒業生カード(Oxford Alumni Card)を見せると15%のディスカウントを受けられるが、やはり購入は見送った。
 
寄稿者のリストは本の帯に記されている。スマホやタブレット端末の方は画像をピンチアウトしてご覧いただければと思う。 
 
 
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2019年2月12日 (火)

マイケル・グリーン先生(1930ー2019)

 
マイケル・グリーン先生が先週2月6日午後3時頃、オックスフォードのジョン・ラドクリフ病院で主のもとに召された。
 
私にとって、故ジョン・ストット師(1921ー2011)の訃報とともに、英国福音主義の時代がまたひとつ終わったように感じられた。
 
ローズマリー夫人はじめご遺族に主の格別の慰めと励ましをお祈りいたします。
 
 
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2019年2月 1日 (金)

『カメラを止めるな!』を観た

 
休暇で妻と一緒に一時帰国している。
遅ればせながら、機中で昨年話題の映画『カメラを止めるな!』を観た。教会員のある姉妹(女性信徒)によると、ロンドンでも上映され、多くのイギリス人が観に来ているという。妻には一切の前情報なしで観てもらった。邦画の出来には手厳しい妻がめずらしく「おもしろかった」と評価していた。
 
昨夏の「クリスチャン・トゥデイ」紙に掲載された青木保憲牧師の3回の連載記事を興味深く拝読した。
 
 
 
 
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2019年1月16日 (水)

離脱協定案、大差で否決

 
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EU からの離脱協定案は、15日の英下院の採決で賛成202票・反対432票の大差で否決された。NHK朝7時のニュースでもトップで報道したようだ。
 
当ブログでは以前からこの結果を予測していた。英国民は「合意なき離脱の可能性」も含め、その選択肢を選んだ。本当にこのまま「合意なき離脱」となった場合、英国は EU の関税同盟圏外となる。3月29日以降、ヨーロッパ大陸との物流の大混乱が危惧される。
 
日本の企業は英国を「ヨーロッパの窓口」として多額の投資をしてきた。自動車産業等の工場も多い。従って協定案否決の影響は大きい。先週訪英した安倍首相は「合意なき離脱はなんとしても避けてほしい」と訴えた。残念ながら願いは通じなかった。
 
EU は EU で加盟各国はそれぞれ深刻な問題を抱えている。特に牽引役ドイツやフランスの首脳の求心力低下は著しい。経済ではドイツ銀行(ドイツ最大の民間銀行)破綻の噂も喧しい。こんな問題銀行を抱えるドイツ政府がギリシャやイタリアに「もっとしっかりしろ」とよく説教できたものである。
 
そんな中、トランプ大統領がアメリカの NATO(北大西洋条約機構)脱退の可能性を示唆した。ヨーロッパの混迷は続く。
 
 

2019年1月 9日 (水)

島流し

 
時々、なぜ今自分はイギリスにいるのだろうと思う。
 
最近、青柳恵介『風の男 白洲次郎』(新潮文庫)を久しぶりに読み返した。次の箇所に思わず膝を叩いた。そして苦笑した。
 
晩年、次郎は軽井沢の別荘に一人で赴くことが度々あった。次郎は若い大工さんの小林淑希夫妻を可愛がり、また小林夫妻もよく次郎の世話をやいた。別荘の力仕事は夫、身の回りのことは妻というふうに分担して。
 
ある朝、小林の細君が部屋の掃除を始めようとすると、次郎は立って窓外の景色をベランダ越しに眺め、
「この頃新聞見ると、中学生が荒れていると、いろいろ出ているけどねえ」
と、いつになく静かな調子で喋り始めた。
「俺なんて、あんなもんじゃなかったんだよ。悪いなんてもんじゃない・・・・」
「だんな様も不良だったんですか?」
「そう不良」と言って、細君の方をふり返り、ニヤリと笑って、
「それで島流しになっちまったんだよ」
と言った。細君はまただんな様の冗談が始まったと思い、掃除機をかけながら、
「へぇー、どこに流されたんです」
と尋ねると、次郎はまた窓の方に向きなおり、ぽつんと、
「イギリスっていう島さ」
と答え、あとは黙って感慨にふけっていたという。
 
(青柳恵介 『風の男 白洲次郎』 pp. 47-48)
 
 
そうかあ、島流しか。日本のキリスト教会に居場所なかったからなあ。神様が不良牧師にそうなさったのかもしれない。
何十年か後、次郎のように呟くときが来るだろうか。
 
 
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2019年1月 6日 (日)

三段論法の功罪

 
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昨年末に出版されて話題になっている本らしい。残念ながら、当方の年末年始の読書リストには間に合わなかった。小泉元総理の単著とのことらしいが、まあだいたいこういう本にはゴーストライターがついているものだ。
 
私は未読だが、すでに読んだという池田信夫氏によれば「事実無根のトンデモ本ではない。批判に対する反論も書かれていて、反原発派の主張の総まとめともいえる」そうである。
 
周知のとおり、原発問題は国論を二分する問題である。最初にことわっておきたいが、私自身は、①まず今後の原発の新設は世論的&政治的にほぼ不可能、②代替エネルギーが安定的かつコスト的に原発並みに確保できるのであれば原発ゼロは大賛成、③しかし代替エネルギーが安定的かつコスト的に納得できるレベルで確保できないのであれば、既存の原発施設の再稼働も場合によっては選択肢からはずさない、の立場だ。私は「ゼロ・リスク」の立場は採らない。基本的に安全と危険は「トレード・オフ」の関係にあると日常生活の知恵と実践からそう思っている。従って私は、筋金入りの反原発派でもなければ、いわゆる原発推進派でもない。
 
念のため③の理由について補足するなら、昨年の「北海道胆振東部地震」でのブラックアウト(ほぼ全域での停電)には心底震撼した。太陽光発電等の再生エネルギー(代替エネルギー)は全く役に立たなかった。不幸中の幸いは、地震が北海道の厳寒期に起きなかったことだ。もし厳寒期であれば、わずか数日の停電でも大勢の死者(凍死者等)が出たかもしれない。現在停止されている「泊原発」の再稼働も日頃の主義主張の違いを超えて(それこそ小泉さんが言う如く「右も左も関係なく」)真剣に検討した方がよいのではと個人的には考えた。また、多くの北海道居住者の方々からもそういう声があったと聞いている。(もちろん、そう考えない人たちの声もまた多いことは承知している。) 
 
 
原発問題が難しいのは、以下の3つの要素が複雑に絡み合っているからであろう。
 
a)「安全」をはかる基準である科学的・客観的確率計算
 
b)「安心」の根拠となる主観的感情(=心理的合理性)
 
c)それらが「政治」の現場に及ぼす影響
 
まず a)の「安全」である。
池田氏によると、小泉元総理の原発ゼロ主張の論理(容認派からの批判に反論しつつ)は次の三段論法(syllogism)で証明しているらしい。
 
1. 原発の被害は最大なので、事故は絶対に起こしてはいけない
 
2. しかし絶対に事故の起こらない技術はない
 
3. だから原発はゼロにすべきだ
 
この論理は巧妙だ。1を認めると、2は自明なので、3が導けるようにみえる。この論理での最大の問題は1の「原発の被害は最大」という前提である。しかし上記 a)「安全」をはかる基準である科学的・客観的確率計算において果たしてそうであろうか?
リスク(危険)とは、ハザード(被害)X確率が科学的・客観的確率計算と言えないであろうか。つまり数式は、
 
リスク(期待値)=ハザード(被害) X 確率
 
である。
 
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原発事故と交通事故を比較するなら、昨年の交通事故の死者は3,562人。戦後の累計では63万人以上だそうである。一方、原発事故の死者は、世界全体で60人とのこと。原発事故の方が1回の被害は確かに大きい。しかし長期で考えると交通事故による被害の方が遙かに大きいのだ。2の「しかし絶対に事故の起こらない技術はない」が自明であるのなら、自動車もゼロにしなければならない。自動車では比較できないというなら、毎年世界で百万人が大気汚染で命をおとしているという石炭はどうであろうか?
ある技術のリスクは、従って、1回の被害の大きさではなく、被害X回数の確率で考えなくてはならないのではないか。
 
しかし多くの人は(小泉氏同様に)1回の被害の最大値を最小化(ゼロ・リスク化)しようと考える。例えるなら、鍵をかけないで家を出ても泥棒に入られるリスクは低いが、万が一入られたときの最大の被害を最小化するために鍵をかける。これは上記 b)「安心」の根拠となる主観的感情である。池田氏は「あなたが事故で生き残る上で大事なのは、1年に何人死ぬかではなく、そのとき自分が死ぬかどうかだから、確率も平均値も関係ない。最大の被害を想定して危険を回避する恐怖は、合理的な感情なのだ」と述べる。そのとおりだと思う。だから、「安心」とは主観的感情に根拠を持つ心理的合理性なのだ。これを個人のレベルで否定することは誰もできない。
 
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主観的とはつまり個人的ということである。ここで上記 c)「政治」の現場に及ぼす影響を考えなければならない。政治が個人の恐怖に迎合すると、長期の政策を短期の感情で決めるポピュリズム(大衆迎合型政治)になる。ポピュリズムで思い出すのはアメリカのトランプ大統領とイギリスのブレグジットではないか。要するに政治と個人の距離が近い「大統領制」と「国民投票」である。これらの国のポピュリズムを嗤う日本人であるが、実は、原発問題においては見事にポピュリズムを体現していると言えないだろうか。政治の個人への迎合である。本来政治とは、「安全」と「安心」のバランスを長期の視点で、リスクに対してコストを最適化する作業のことであろう。東京都民は首都圏直下型地震で死ぬリスクをとって暮らしている。被害(ハザード)を小さくする必要はあるので、建築物の耐震設計基準は強化され、都は防災対策に多額の予算を支出している。しかしその目的は死者をゼロにすることではなく、リスクに対してコストを最適化することのはずだ。
 
 
本投稿で述べたいのは原発政策の是非というより、小泉氏の主張に見られるポピュリズムの三段論法だ。究極的には論理、特に演繹法に対する過剰な信頼についである。もちろん聖書の中にもたとえば主イエスが「空の鳥を見なさい」とか「野の花がどうして育つか、よく考えなさい」(マタイの福音書6章)等、見て・考えて(推論して)・結論を引き出せと演繹法の思考を奨めている箇所はある。三段論法(演繹法)の<功>の面であろう。従って、論理がどうでもいいと言うつもりはさらさらない。他方で、聖書の基本的な研究(講読)指針は帰納法ではないであろうか。イギリス人をみていると、彼らのプラグマティズム(実用主義・現実主義)とは、要するに論理(演繹法)を過度に信用しないことだと思われる。
 
論理とは「AならばB、BならばC」と発展させていくものだ。Zを結論とすると、Aが出発点になる。ところが出発点Aは常に仮説だから、これをどうするかで結論はいくらでも変わる。換言すれば、仮説(前提)Aを間違えれば、結論Zも自ずと間違って導かれるということである。三段論法・演繹法の<罪>の面と言える。上で見たように、三段論法がポピュリズムに利用され易い<罪>の面もある。イギリス人が「論理的な正しさより、現実を直視しよう」と考えるのも分かる気がする。(そのイギリス人が国民投票という一種のポピュリズムの結果に右往左往させられているブレグジットの現状には「身から出た錆」としか言いようがない。) 少し横道に逸れるが、近代キリスト教神学の歴史(近代神学史)においても、ドイツ語圏(観念論・演繹法)が発祥でありながら、イギリス(実在論・実証法)が修正してきた歴史もそう物語っているように思われてならない。
 
イギリス国教会ではロウ・チャーチ(福音主義)でも「聖書のみ」と標榜しつつ、実際には「聖書と伝統(理性)」である。ここでの伝統とは「論理に囚われず現実(現場)を直視する理性」のことではないか。従って「歴史」も伝統の内に含まれる。聖書に根拠を置きつつ、現実や史実に即して行動するのがイギリス国教会ロウ・チャーチであろう。佐藤 優氏が『神学の履歴書』(新教出版社)で A. マクグラス著『キリスト教神学入門』に言及しつつ「本書を読むとマクグラス自身が所属しているイギリス国教会(聖公会)の立場がもっとも正しいと思う方向に誘導される構成になっている」(同書 p. 188)とは、「聖書と伝統」こそが国教会の立場だからである(ローマ・カトリック教会での伝統とは意味が違う)。
 
この論理を絶対視しない(=伝統を重んじる)姿勢は、英国福音派の聖書論においても通底しているように思われる。私自身はもちろん「聖書の権威」を心底から信じている。しかし「無誤性」という用語で表現しようとは思わない。論理の匂いがするからだ。論理は、前提Aが正しければ結論Zのみならず積み上げる過程すべてが正しいとする反面、始まりが誤るとすべてが誤るという一種のドミノ倒し論に陥る傾向がある。論理や合理性を好むアメリカの福音派で「無誤性論争」が起こったのも分かる気がする。聖書論においても、基本的には「リスクに対してのコストの最適化」あたりが落としどころだと思うのだ。もっとも、それを神学的にどう記述するかは大きな課題ではある。
 
 
 
 

2019年1月 3日 (木)

おやっと思ったこと

 
新年早々で恐縮だが、気になったことを1つ。
 
年末年始の読書の1冊として藤本 満著『乱気流を飛ぶ ー旧約聖書ダニエル書から』(ヨベル刊)を読んでいた。75頁の記述に最初、妻が気づいた。こうある。
 
バージニア・ウルフという女性の宣教師は「わたしの生活でなくてならないのはただ一つ、自分だけの部屋です」と言ったそうです。(上掲書 p. 75)
 
 
はて、イギリス人小説家・評論家として名高いバ(ヴァ)ージニア・ウルフ(Virginia Woolf, 1882-1941)は知っているが、宣教師のバージニア・ウルフは寡聞にして知らない。
 
もしかしてだが、作家のヴァージニア・ウルフに『自分だけの部屋("A Room of One's Own")』(原書1929年刊 みすず書房)という作品はある。1928年に、ケンブリッジ大学のニューナム・コレッジ及びガートン・コレッジで彼女が行った講演がベースとなっている。両コレッジとも当時は女子学寮であった(ガートンは1976年に共学となった)。女性の自立をテーマとした、内容的にはウルフのフェミニズム論として解釈できる本である。そういう意味では、彼女はこの分野の「布教者(missionary)」だったかもしれない。
 
私は昨年、フェイスブックを休止した。従って、最新の情報が仲間・友人から入って来ない。すでに著者の藤本師からどこかで説明があったのであれば、本ブログでの疑問は行き違いとして忘れていただければと願う。
 
 
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2019年1月 1日 (火)

謹賀新年

 
新年明けましておめでとうございます。主による新しい年、皆様の家庭・仕事・学業に神様の祝福が豊かにありますように。
 
 
新年はまず主なる神様への賛美と感謝、そして毎年のお楽しみ「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサート(Das Neujahrskonzert der Wiener Philharmoniker)」で始まります。ロンドンではウィーンより1時間遅い、午前10時15分からコンサートのテレビ中継が始まりました。休日の朝食をいただきながらの演奏会です。日本では夜のゴールデンタイム7時15分からでしたね。絶妙のウィンナーワルツを聴きながら、やはりこのオーケストラは世界でも別格の存在と感じ入った次第です。来月下旬、この楽団のロンドン公演に行きます。
 
当ブログは、今年も「床屋談義の域を出ない」ご笑覧路線の基本コンセプトに忠実に(?)やって参ります。どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
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2018年12月31日 (月)

London Is The Place For Me(?)

 
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2018年も最後の日となった。
 
ロンドンに赴任して2年目の年が終わろうとしている。
 
以前のイギリス暮らしの経験があるとはいえ、
 
ロンドンは初めて住みそして暮らす場所であった。
 
London Is The Place For Me.
 
映画『パディントン』のエンディングテーマに使われた曲だ。
 
くまのパディントンの如くそう言えるようになっただろうか。
 
彼はペルーのジャングルからやって来た。
 
そういえば今年は「ウィンドラッシュ世代」の問題があったなあ。
 
Brexit もパディントンも、移民問題とシンクロしているように思われる。
 
まあいい。この宿題は来年に持ち越すとしよう。
 
 
ともあれ、今年1年も当ブログにお付き合いくださりありがとうございました。
 
新しい年2019年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
皆様に天地創造・三位一体なる神様の平安と祝福をお祈りいたします。
 
 

2018年12月29日 (土)

新年のドラマから

 
 
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正月のテレビで特番が組まれるのは日本もイギリスも同じ。私が特に楽しみにしているのは、2年半前の国民投票で、ブレグジットが可決される裏事情をめぐる人間模様を描くドラマだ。日本でも有名なイギリスの俳優ベネディクト・カンバーバッチが主演する。(彼は映画『ホーキング』、『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』、テレビドラマ『SHERLOCK(シャーロック)』等で日本でも知られる。クリスチャンの人々は、18世紀後半の大英帝国で奴隷貿易の廃止に努めたウィリアム・ウィルバーフォースの伝記映画『アメイジング・グレイス』で、カンバーバッチはウィルバーフォースの親友で若くして首相になったウィリアム・ピット (小ピット)を演じたことを思い出すであろう。)
 
4チャンネルという民放の番組だが、BBCがニュースとして取り上げている。イギリスでの放送は1月7日(月)午後9時から。アメリカのケーブルテレビ HBO でも19日に放送される。日本での放送は未定。
 
 
BBCニュース日本版より
 
 
 
 

2018年12月16日 (日)

カンタベリー大主教の新著

 
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左側の画像、ロンドンの地下鉄の中で "小指を口にくわえながら(鼻くそをほじくっているのではない!笑)" 読書に耽るのは、イングランド銀行総裁マーク・カーニー氏である。読んでいる本は、ジャスティン・ウェルビー カンタベリー大主教の処女作 "Dethroning Mammon: Making Money Serve Grace  The Archbishop of Canterbury's Lent Book 2017" 。一昨年に出版された。「マモン」とは、新約聖書に現れる「富」を意味する言葉である。2017年のレント(四旬節。キリストの復活を記念するイースターの46日前の水曜日からイースターの前日の土曜日までの期間。「受難節」とも呼ばれる)の黙想用に執筆された。dethrone とは「王座から降ろす」「退位させる」という意味であるから、書名 "Dethroning Mammon" の意図はお分かりいただけると思う。この本を、英国の中央銀行総裁が読んでいるのだ。(因みに、カーニー氏はカナダ人。外国人が英国中央銀行の総裁である! かつては中卒の日雇い労働&サーカスのブランコ乗り出身者が首相になったりもした。故サッチャーさんの後任者ジョン・メージャー元首相のことである。イギリスという国はおもしろい。) 
 
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そのジャスティン・ウェルビー大主教が今年、新著を出された。画像の左側の本、"Reimagining Britain: Foundation for Hope" である。リイマージニングとは、アジェンダ(設計図)と置き換えてもよいかもしれない。この書名から、かつて読んだことがあるジム・ウォリスの "Agenda for Biblical People" を思い出した。ウェルビー師の新著はアジェンダ・フォー・ブリテン(英国のための設計図)といったところであろう。イギリス国教会の大主教という立場ながら、大胆にも政治の分野に踏み込んでの提言である。もちろん、信仰者として聖書的・神学的なビジョンを持ってである。目次に目を通せば、歴史の回顧・家族・教育・保健・住宅事情・経済と金融・国際政治・移民と統合(ブレグジット問題)・これから生まれてくる世代のために・他宗教との対話 etc etc と縦横無尽に語っていることが分かる。
 
実は本書、つい最近入手したばかりなので未だ殆ど読んでいない。年末年始の読書にと購入した。せっかくイギリスにいるのだからイギリスでしか読めない本をと、最近は読書対象を絞るようにしている。もっとも、Amazon.com はじめネット通販を通じて世界中の本が手に入る現在、イギリスでしか読めない本など実質的には無い。私が言わんとするのは、「当事者意識をもって読むことができる本」という意味である。ブレグジット(Brexit、英国のEU からの離脱)も、恐らく多くの日本人にとっては大した関心事ではないであろう。でも私は関心を持ってウォッチしている。在留異国人とはいえ、当該国に住む当事者だからである。従って、ウェルビー師の新著にも関心が湧く。
 
余談だが、かつてダラム大聖堂(イングランド北東部)でのウェルビー師の前任主教は N. T. ライト師であった。ダラム大聖堂には学者主教の伝統がある。J. B. ライトフット、B. F. ウェストコット、マイケル・ラムゼイ、N. T. ライト・・。ウェルビー師はオイル・ビジネス出身の異色派だ。もっとも、超名門パブリック・スクールのイートン校からケンブリッジ大学の最高峰トリニティー・コレッジに進学したエリートではあるが。
 
 
ところで、本書の刊行を承けて、ランベス宮殿(カンタベリー大主教のロンドンでの公邸)は、クロアチア出身の異色の神学者ミロスラフ・ヴォルフ教授(米イェール大学神学大学院)を迎えてウェルビー師との討論会を今年3月に主催した。
 

2018年12月14日 (金)

アンドリス・ネルソンス指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 
12月13日(木)、ベルリンのフィルハーモニー(Philharmonie)にて。
 
曲目
マイヤ・アインフェルデ(Maija Einfelde、1939- )  
 
  『永遠の光(Lux aeterna)
 
 
グスタフ・マーラー(Gustav Mahler、1860-1911)
 
 『交響曲第2番 ハ短調 《復活(Auferstehung)》
 
 
今回の演奏会のテーマは、»ZU GOTT WIRD ES DICH TRAGEN« Malers Auferstehung-Symphonie: Mystik jenseits aller Konfessionen (『「汝を神のもとへ導くだろう」 〜マーラーの "復活" 交響曲:諸宗教の境界を越える霊性〜』。 う〜ん、キリスト教徒としては複雑な気持ち。もろに宗教多元主義がテーマじゃん!
 
アインフェルデは、指揮者A. ネルソンスと同郷ラトビアの女性作曲家。伴奏は2種類の打楽器のみの混声合唱曲。ラテン語によるカトリックの典礼の歌詞。
 
マーラーの2番は、オーケストラに独唱(ソプラノ、アルト)と混声合唱が伴う交響曲。全5楽章。「復活」の標題は、第5楽章で歌われるフリードリヒ・クロプシュトックの歌詞による賛歌「復活」からとられたものだが、マーラー自身がこの標題を正式に用いたことはない。クロプシュトックは敬虔主義に根ざしたまごうことなきクリスチャンだが、マーラーが歌詞に加筆したことにより、何の復活なのか、意味が曖昧になってしまった。即ち、汎神論的になってしまったのだ。諸宗教の広場としての「霊性(=復活)」である。上記の演奏会のテーマにあるドイツ語の Mystik を、私は「霊性」と意訳した。オリジナルの歌詞を創作したクロプシュトックにとって、神とは「主イエス・キリストが説き明かされた神」(ヨハネの福音書1章18節)に他ならないはずだが、マーラーは諸宗教を横断する「存在の根底(ground of being)」としての神に置き換えてしまったようだ。そういう意味では、「復活」を純粋に主イエス・キリストの復活、そして甦りのキリストのいのちにあずかる死者の復活(I コリント書15章等)として歌えないのは残念でならない。
 
とはいえ、マーラーが作曲した音楽は素晴らしい。特に最終楽章のコーダ、つまり「汝を神のもとへ導くだろう」を生演奏で聴いて感動しない人は、暴言を承知の上で言うが、音楽そのものを聴くことを辞めた方がよいとすら断言できる。実際、ネルソンス指揮ベルリン・フィルの演奏に、妻も私もそして聴衆も深い感動へと導かれた。
 
アンドリス・ネルソンスの指揮は10月のロンドン公演(ゲヴァントハウス管弦楽団)以来。ベルリン・フィルの圧倒的な音量と名人芸は、クラシック音楽ド素人の妻をして「ゲヴァントハウス管も素晴らしかったけど、ベルリン・フィルはそれ以上だと分かった」と降参したようだった。それにしてもネルソンスは、どんなオーケストラを指揮しても納得の行く音楽を導き出す。つくづく凄い指揮者だと改めて舌を巻いた。
 
 
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2018年12月11日 (火)

カラヤンとロンドン

 
一般にヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)といえば、ベルリン・フィルやウィーン・フィルのようなドイツ語圏オーケストラの指揮者として理解されている。間違いではないが、実はそれらのオーケストラと蜜月関係に入る前、カラヤンは在ロンドンのオケ、フィルハーモニア管弦楽団の指揮者であったことはあまり知られていない。
 
カラヤンがベルリン・フィルを初めて指揮したのは1938年だった。1954年にヴィルヘルム・フルトヴェングラーが他界し、翌1955年に彼はベルリン・フィルの常任指揮者(音楽監督)に就任した。実はカラヤン、第二次大戦ヨーロッパ戦線終了後(1945年5月)、「ナチスの党籍を有し、ヒトラー第三帝国の文化政策に協力した」という経歴の故に、連合国「非ナチ化」裁判でヨーロッパ大陸内での演奏活動を禁止されていた。
 
蟄居(ちっきょ)中のカラヤンをウィーンに訪ね、「ロンドンに来て、一緒にレコードを作ろう」と誘ったのが、EMI のイギリス人敏腕プロデューサーウォルター・レッグだった。レッグは1945年にフィルハーモニア管弦楽団を創設し、カラヤンを実質的な音楽監督として迎えた。カラヤンの指導により、創設間もないこのオーケストラの演奏能力は飛躍的向上を見せた。特に、大陸のオーケストラに比べ弦楽器群の音の厚みが欠けると評されていたイギリスのオーケストラの弦楽セクションの音色をカラヤンは一変させた。そしてメジャーのレコード・レーベル EMI を通じて名盤の数々が世に送り出された。そう、あのカラヤンはかつて1940年代半ばから10年ほど、ロンドンで活躍していたのである。換言すれば、フィルハーモニア管弦楽団はカラヤンによって鍛えられたオーケストラなのだ。このコンビの続くことが期待されたが、上記のとおり、1955年に彼はフルトヴェングラーの後を襲ってベルリン・フィルのシェフとなり、ロンドンを去ることとなった。
 
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カラヤンとフィルハーモニア管弦楽団のコンビ。その恩恵の一つを、クラシック音楽に縁が無い人も実は受けている。
 
画像は、2曲のピアノ協奏曲が収められたCD(元はLPレコード)である。内、1曲は1948年4月にルーマニア出身の名ピアニスト ディヌ・リパッティを独奏者に迎えて録音された、シューマン作曲の『ピアノ協奏曲 イ短調 作品54』である。バックを務めたのがカラヤン指揮のフィルハーモニア管弦楽団だ。
 
この音源、名作の誉れ高い『ウルトラセブン』の最終回BGMとして用いられた。主人公モロボシダンがアンヌ隊員に自分の素性を明かす場面、「アンヌ。ぼくは、ぼくはね。人間じゃないんだよ。M78星雲から来たウルトラセブンなんだ!」の台詞に間髪入れず、第1楽章の冒頭が鳴るあのシーンである。その後、怪獣バンドンとの死闘場面でも第1楽章がBGMで用いられた。この最終回は、特撮物でクラシック音楽が極めて効果的に用いられた例として後世の語り草となった。私自身も少年時代、本編をテレビで見ながら涙した。あの涙はBGMの効果抜きにはなかったかもしれない。
 
今になって思う。あの音楽はリッパティの素晴らしいピアノ独奏とともに、カラヤン指揮のフィルハーモニア管弦楽団によってロンドンで録音されたものだったと(因みに録音会場はあのアビー・ロード・スタジオだった)。カラヤンとロンドンとウルトラセブン。私の中でひとつに繋がった。
 
最後に告白しておこう。16歳の時、ウルトラセブンに主イエス・キリストの姿を見た。これが信仰の接触点(point of contact)となった。私の中で偽らざる真実である。
 
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特撮ヒーロー『ウルトラセブン』の最終回。ダンとアンヌの名シーンをご覧あれ。
 
 
 
そして最後の戦い。再びピアノ協奏曲がBGMとして効果を発揮する。
 

2018年12月 9日 (日)

読み聞かせのジョン・ストット師

 
これは貴重な秘蔵映像だ。The Hooksesーフックシーズ。ウェールズの西端、大西洋に突き出るペンブロークシャー州(Pembrokeshire)にあるジョン・ストット師の別荘だ。祈りと読書三昧と趣味のバードウォッチング。 生前、ストット師はここでの執筆と休暇を何よりの楽しみとした。師の50冊ほどの著作もここで執筆された。一方、少数の親しい人たちを招いての合宿やBBQパーティー等も行った。
 
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フックシーズでのストット師について、イギリスでは昨年、デーヴィッド・クランストンによる本が出版された(画像参照)。今年2月の "Church Times" 書籍紹介欄掲載、トビー・ハワース師(ブラッドフォード主教)による回想記事を参照あれ。
 
 
 
D. クランストンによる執筆と出版にあたっては、一昨年の「日本伝道会議」の主講師、クリストファー・ライト師も協力している。
 
日本で視聴できるか分からないが(国別制限がかかっているかも)、YouTubeにアップされた JOHN STOTT at 'The Hookses' を紹介しておく。プライベートでリラックスするストット師。読み聞かせまで披露している。
 

2018年12月 8日 (土)

ポチが泰然でいられる理由

 
カルロス・ゴーン氏逮捕の件。「日仏の外交問題に発展する」などと煽る向きもあるが、心配することはない。先のG20にて、日仏首脳会談での安倍総理の「泰然ぶり」を見て、「やはりアメリカの後ろ盾を得てるな」との感触を得た。
 
元経済ヤクザの猫組長氏は言う。
 
日産の事件を「社内の内紛」と見るむきがあるが、私はアメリカの外交政策に変化があり、その影響が日産にも波及したのだとみている。報じられた、オフショアを使った資金移転などは、黒い経済界の古典的なやり方で、そうした情報を世界で一番保有しているのがアメリカだ。
アメリカからの情報提供がなければ、ゴーン氏の逮捕になど踏み切れなかったはずだ。すなわち、そこにはアメリカの影響があったとみている。
 
 
そのとおりだと思う。正確にはゴーン氏逮捕の情報提供だけでなく、アメリカからの「ゴー・サイン」もと言うべきかもしれない。アメリカの外交政策の変更とは「新・モンロー主義」のことだ。トランプ大統領は多国間交渉より2国間交渉を指向する。EU の次代の盟主を目指すマクロン仏大統領にとっては受け容れ難い方針だ。だから米仏 FTA を提案したトランプ大統領を袖にした。
 
中国との関税戦争で始まった「米中新冷戦」の観点から、中国とズブズブの関係にある EU (特に独仏)をアメリカは強くけん制している。日産の件は、中国による電気自動車技術等の知的財産権侵害を徹底的に取り締まるアメリカの一連の経済・貿易戦略(e.g. 最近のファーウェイ CFO への逮捕状等)に合致している。中国を斬り、返す刀でアメリカに楯突く者(フランス)も斬る。アメリカは相変わらずえげつない。しかしこれは、ポチの国益とも一致している。
 
 
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ドイツCDUの党首選

 
AKBならぬAKK。今後のドイツ政界のキーワードだ。
 
7日に行われた与党キリスト教民主同盟(CDU)の党首選。同党幹事長でメルケル首相の信頼厚いアンネグレート・クランプ=カレンバウアー(Annegret Kramp-Karrenbauer)氏が党首に選出された(名字を「クランプカレンバウアー」と表記する新聞もあり)。メルケル首相の忠実な後継者と理解されているが、政治的スタンスはむしろ中道保守。党名に恥じぬキリスト教的価値観を前面に打ち出してきた。同性婚や医療機関による中絶広告解禁に強く反対している。難民受け入れの厳格化も彼女の主張だ。リベラルに寄り過ぎたメルケル路線を修正してくれるのではないか。個人的には期待したいと思う。
 
日本では極右政党と理解されている「ドイツのための選択肢(AfD)」。実は、同党支持層の中には相当数の保守派クリスチャン有権者がいるのだ。クランプ=カレンバウアーさんがCDUの路線変更に成功すれば、AfD に流れた保守層が同党に回帰する可能性も出てくる。
 
それにしてもメルケル首相である。今まで散々「首相は党首と同一人物であるべき」と主張していた。それなのに党首を退いた自身は2021年の首相任期まで続投するという。つくづく「嘘つきは政治家の始まり」と思う。老兵は去るべし!
 
 
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2018年12月 7日 (金)

そもそも何のための離脱なのか

 
メイ首相の離脱合意案はほぼ間違いなく否決されるであろう。以前にも書いたとおり、彼女のシナリオはぶれまくっている。
 
そもそも何のための離脱決定だったのか? 答えは簡潔かつ明瞭である。
 
 
普通の国が持っている<主権>をすべて即時に EU から取り戻すこと
 
 
これ以上でも、これ以下でもないはずだ。であるなら、現政権の離脱合意案は完全にぶれている。離脱賛成派(強硬派・穏健派を問わず)からも、離脱反対派からもそっぽを向かれて当然だ。EU については1つ感心していることがある。それは、離脱交渉において彼らのスタンスはほぼ一貫している(consistent)ことだ。つまり「いいとこ取り(cherry picking)は許さない」という姿勢である。その点、メイ政権はぶれまくっている。
 
国際的にも、トランプ大統領は、メイ首相の離脱案ではアメリカとのFTA(自由貿易協定)締結は困難と難色を示している。他方、日本やオーストラリアは、英国のTPP加盟を「諸手を挙げて歓迎」と言ってくれている。だったら、取るべき選択は決まっているではないか。離脱完了後、短期的には大混乱もあろう。しかし、中長期的には EU を離脱して世界の諸国と自由貿易協定を結ぶ方がずっと英国の国益に叶っていると私は思う。
 
EU(欧州連合) は、いずれ沈み行く「泥舟」だ。この泥舟より、英連邦+アメリカ合衆国の英語圏経済圏の方がずっと大きいではないか。その上、TPPに参加すれば、アジア・豪州の経済圏へのアクセスも開ける。事ここに至っては、(EU との)合意なき離脱もありと私は考える。
 
余談ながら、ドイツと共に EU を牽引する大国フランスの著名な歴史人口学者・家族人類学者エマニュエル・トッド氏 は「問題は英国ではない、EU なのだ」と言っている。ユンケル委員長に聞かせてやりたい。
 
 
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2018年12月 4日 (火)

崖っぷちのメイ政権

 
本日(12/4)の英議会下院は大荒れ模様だった。戦後の英政治史においても、現政権がこれほどの屈辱にまみれたことは無かったのではないか。
 
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12月11日の EU 離脱合意案議会採決を控え、本日から5日間の議会討論が始まった。よりによって初日のきょう、英議会は、メイ政権が EU 離脱に関する法的助言の全容を拒否したことが議会侮辱にあたると認める動議を賛成多数(賛成311票・反対293票)で可決したのだ。
 
議員から動議が出されたのは、コックス法務長官(Attorney General)が議会で離脱案に関してメイ政権が得た法的概要を説明したことをめぐってであった。法的助言の中には、アイルランド共和国と英領北アイルランドの間の物理的国境(厳格な国境管理)を回避するための「バックストップ(安全策)」に関する助言も含まれていた。にもかかわらず、メイ政権は、助言の全文公開を拒否し、一部のみの公表にとどめていた。これが与野党を問わず多くの議員の怒りを買った。動議が可決したことにより、閣僚の職務停止や下院議員資格停止につながる可能性も出てきた。政権にとって絶体絶命のピンチである。
 
 
メイ首相は本日、もう1つの大きな痛手も被った。首相の離脱合意案に対する修正動議も可決されたのだ(賛成321票・反対299票)。この修正動議は、今月1日、下院 EU 離脱特別委員会のヒラリー・ベン委員長(労働党)がまとめたものである。合意案の承認を拒否した上で、合意案が否決された場合は、議会が政府に善後策を指示できる内容になっている。委員会では、与野党の元 EU 残留支持派や、離脱の是非を問う国民投票の再実施要求派らが賛同した。
 
今後の離脱プロセスで、権限の主体が政権から議会に移るというメイ政権が絶対に飲めない修正案が可決されてしまった。英政治ではかつて日本と同様、首相には議会(下院)解散権があったが、現在では法的に封印されてしまっている。12月11日の離脱合意案が議会で否決された場合、メイ首相の退陣が現実味を帯びることになる。
 
では首相が退陣したとして、来年3月29日に迫った離脱完了日を控えて与野党とも一体どうするつもりなのか? のんびり党首選&首相指名採決をやっている余裕はなし(党内選挙及び議会での指名採決で大揉めになるのは間違いない)。まして総選挙を実施する日程などもうないのだ。そもそも今総選挙をやれば労働党が勝つ可能性がある。そうなれば、民営化した企業の再国営化を主張するガチガチ左派のジェレミー・コービン党首が首相になるのだ。保守党議員はいくら仲間割れしても、それだけは絶対阻止したいだろう。
 
英政治の行方は混沌としている。
 

ダニエレ・ガッティ氏、ローマ歌劇場の音楽監督に

 
今年8月、セクハラ疑惑でロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(オランダ・アムステルダム)首席指揮者を解任されたダニエレ・ガッティ氏。このほど、ローマ歌劇場の音楽監督に就任することが報じられた。
 
朝日新聞記事
 
 
 
因みに、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は、来年4月25日(木)及び28日(日)のガッティ指揮の定期公演は予定どおり行うとしている。
 
画像は、ガッティ氏が今年5月24日フィルハーモニア管弦楽団(ロンドン)に客演した折のもの。
 
 
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2018年12月 2日 (日)

英国政治は未踏の領域へ。。?

 
G20(ブエノスアイレス)が閉幕した。
メイ首相は精力的に各国首脳と会談したが、留守中の英国議会を思う時、心中は穏やかでなかっただろう。昨日もまた一人、閣僚が辞任した。首相の EU 離脱合意案には同意できないと。
 
合意案の議会採決は12月11日(火)と決まった。ブレグジット法によれば、下院(庶民院)での採決で決まる。定足数は650名。議長など採決に加わらない議員(4名)や、議員が登院していない政党(7名)を除くと、639名。つまり、過半数は320である。
一昨日あたりからBBCニュースも議会下院での票読みを始めた。内訳は画像を参照にしてほしい。
与党では CON は保守党、DUP は連立を組む北アイルランド地域政党の民主統一党。
野党では、LAB は最大野党の労働党、SNP はスコットランド国民(民族)党、LD は自由民主党、PC はウェールズの地域政党プライド・カムリ、GRN は緑の党、IND は無所属議員である。これらの他、かつてのテロ組織 IRA の合法政治団体シン・フェイン党も7議席を持つが、彼らは議会に登院していない。
 
メイ首相の離脱合意案に賛意を示しているのは与党・保守党で225名、野党・自由民主党で1名の計226名。BBCは与党の反対派を最大に見積もっていること、また与党・野党でそれぞれ多少の造反組があることを想定したとしても、可決にはほど遠いことが分かろう。
 
12月11日。奇跡でも起こらないかぎり、英国政治は未踏の領域へと踏み込むことになる。
 
 
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