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2012年5月24日 (木)

詩篇とギターとハープ


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画像は10弦ギターのナルシソ・イエペスと、同じくスペイン出身の名ハープ奏者ニカノール・サバレタ。イタリアはミラノ・スカラ座での公演から。(The photo is Narciso Yepes with a 10-stringed guitar and another Spanish harp virtuoso Nicanor Zabaleta. This was taken during a performance at the "Teatro alla Scala" in Milan, Italy. )

 

詩篇33篇2節(新改訳)
「立琴をもって主に感謝せよ。
 十弦の琴をもって、ほめ歌を歌え。」

"Praise the LORD with the harp;
make music to him on the ten-stringed lyre."  Psalm 33:2(NIV)


「立琴」と訳されたヘブル語の<キノール>は、アラム語では<キトリーム>、やがてギリシャ語では<キターラ>となりました。そしてこれがヨーロッパの<ギター>の語源となったと言われています。(ガリラヤ湖の別名「キネレテの海」は、湖の形が立琴(キノール)に似ているからと言われる。)
The word 'harp' translated from the Hebrew, 'kinnor', was 'kitrim' in Aramaic. It later became 'kithara' in classical Greek. It is said that this is the root of the word 'guitar' in Europe.(Another name for the Sea of Galilee was 'Sea of Chinnereth' because the body of water had the shape of a harp (kinnor).)


詩篇33篇2節の原文(ヘブル語)は、

הוֹדוּ לַיהוָה בְּכִנּוֹר בְּנֵבֶל עָשׂוֹר זַמְּרוּ־לוֹ

(ホドゥー・ラドナイ・ベヒノール・
ベネベェル・アソール・ザメルー・ロー) です。

「立琴で(ベヒノール)」の キノール(kinnor)。「十弦の琴をもって(ベネベェル・アソール)のネベル(nebel)がそれぞれ当該の楽器となります。


例えば創世記4章21節の「キノール」を欽定訳は harp、RSV(改訂標準訳)は lyre、NIV(新国際訳)は harp とそれぞれ訳しています。他方、例えば I サムエル10章5節の「ネベル」は上記の順に psaltery、harp、lyres とそれぞれ訳しています。個人的な感想ですが、各楽器の特徴がそれほど解明されておらず、互換性のある語の使用法と見受けられます(上記の用語使用例は "The Illustrated Bible Dictionary Vol. 2"、IVP 刊 による)。リラ(lyre)とハープ(harp)の古代における厳密な違いについてはよく分かりません。インドの楽器シタールは、「十弦の琴(nebel 'asor)」に近いと思われます。


但し上記のことは飽くまでギター(スペイン語の "guitarra" とヨーロッパ各国語での派生語)の名称の起源であって、楽器そのものの起源と変遷史はまた別問題です。ギターの起源と歴史については諸説あり(ヨーロッパで用いられたリュートが直接の起源なのか、それとも中近東・インドからの楽器がスペインでのレコンキスタ(=カトリック両王による領土回復)までに伝わっていたのか)、学者の間でも議論が続いているようです。


大事なことは、当該の語がヘブル語・アラム語・ギリシャ語で共有された事実です。詳細は省きますが、これは新バビロニア帝国(ネブカデネザル)からギリシャ帝国(アレクサンドロス大王とその後)に至る、いわゆる第二神殿期の歴史が関係していると思われます。


The Psalms, the 10-stringed guitar, and the harp - seemingly unrelated, but seamlessly related!


 

フォロー入れときます。


昨日の記事『当たらずも遠からず』で、日本の大学のランキング凋落に言及しましたが、実は「評判ランキング」という分野では、東京大学は世界8位と健闘しているのです。東大の名誉のために、フォローを入れておきます。以下は、報道記事からの抜粋です。


 

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英タイムズ・ハイアー・エデュケーションは、教育関係者の学術的評判に基づく世界大学ランキングを発表。今回で2度目となる評判ランキングでは、2年連続でハーバード大が1位、国内大学では東大の8位が最高だった。


 同社は毎年世界中の大学のトップ400校を紹介しているが、今回の評判ランキングは、教育関係者を対象とした特殊なもの。国連に登録されているデーターをもとに、9か国語に訳された調査メールが高等教育関係者に一斉送信された。その結果、3万人を超える回答が149か国から届いたという。


 解答者を学部別に見ると、理工学の教員が約20%、社会科学の教員が19%、臨床系が17%などとバランスがとれていたという。地域別に見ると、44%の回答者が米国在住、28%が欧州、25%がアジア・太平洋・中東圏、4%がアフリカという結果になった。72%が欧米在住の回答者という意味では、回答者の地域的バランスをとるのは難しかったといえるだろう。


 調査結果を見ると、第1位のハーバード大に続いたのがマサチューセッツ工科大学、ケンブリッジ大学、スタンフォード大学、カルフォルニア大のバークレー校。同ランキングのトップ20を見てみると、欧州以外の大学でランクインしたのは、8位の東大と、20位の京大のみ。


 通常の世界大学ランキングでは、国際性、被引用数などでランクを落とす日本の大学も、東大が8位と健闘したのは興味深い。高等教育関係者からは高い評価を得ているといえるであろう。


 そのほかのアジアの大学では、シンガポール国立大学が23位にランクインしたほか、中国の清華大学が30位、北京大学が38位に入った。


 

PS. 他方、こういう人たちを野放しにするなら、やっぱ「狂徒大学」「頭狂大学」なのか
  とも思ってしまう・・・。
  ↓↓
 http://agora-web.jp/archives/1458963.html


 


 

2012年5月23日 (水)

「改革」とは


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マイケル・ウッドフォード氏の著書を読むと、アウトサイダーにしか見えないものがあるということがよく分かる。私は、現在働いている教会でも、昨年度まで所属していた教派でも、外からやって来た<アウトサイダー>である。生え抜きでないデメリットがあることは素直に認めるが、反面、生え抜き組には見えないものが見えるメリットもあった。アウトサイダーにしか見えないものがあるのだ。それが長年にわたる深刻な問題なら尚更である。ウッドフォード氏の著書はそれを教えてくれる。


所属教派からの離脱をめぐり、大多数の教会員はアウトサイダーの率直な指摘を受け容れてくれた。彼らの信仰に心から感謝したい。他方、一部は去った。捨て台詞を吐いて。残念だが、仕方ない。このような事態は、外部からは「分裂」と映るだろう。当事者の事情を知らないのだ。甘んじて受けるしかない。


アウトサイダーの私が、自分にとって何の得にもならない積年の諸問題を引き受けるのは割に合わない、と幾度主なる神に叫んだことだろう。けれども主は、第一コリント書15章58節のみことばで、その都度励まして下さった。 「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたの労苦が、主にあってむだではないことを知っているのですから。」


 


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中田宏著『政治家の殺し方』(幻冬舎)で、最も共感した箇所の一つ。


『そもそも「改革」なんてものは世の中に存在しない。言葉があるだけだ。だから「改革は具体的でなければならない」というのが私の口癖だった。予算を見直す、人員を見直す、事業を見直す、補助金を見直すなど、一つ一つの具体策の総称を改革と呼んでいるに過ぎない。』

 

「改革」という言葉自体は、所詮「総論賛成、各論反対」的なものであろう。各論に踏み込んで「改革」しようとすれば、必ず抵抗やバッシングに遭うものだ。牧師であるなら、そんなものは「想定内」としたい。(でも辛い・・笑)


 

当たらずも遠からず


以前、2009年版ランキングを紹介したことがありました。
すでに昨秋に発表されていますが、参考までに、イギリスの教育専門誌『Times Higher Education』が格付けを行っている「世界大学ランキング」の 2011- 2012年版です。上位200位の内、1位〜10位は次のとおり。ハーバード大学の首位陥落と、イェール大学がベスト10入りを逃したこと(11位)はちょっとした驚きでした。概して上位20位は、(毎年多少の入れ替えはあったにしても)基本的に不動です。

1位 米カリフォルニア工科大学(The California Institute of Technology)
2位 米ハーバード大学(Harvard University)
3位 米スタンフォード大学(The Leland Stanford Junior University)
4位 英オックスフォード大学(The University of Oxford)
5位 米プリンストン大学(Princeton University)
6位 英ケンブリッジ大学(The University of Cambridge)
7位 米マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology)
8位 英インペリアル・カレッジ・ロンドン(The Imperial College of Science, Technology and Medicine)
9位 米シカゴ大学(The University of Chicago)
10位 米カリフォルニア大学バークレー校(The University of California Berkeley)


一方、日本の大学の凋落傾向が顕著です。 

日本の大学
30位  東京大学(The University of Tokyo、アジア勢最高位)
52位  京都大学(Kyoto University)
108位  東京工業大学(Tokyo Institute of Technology)
119位  大阪大学(Osaka University)
120位  東北大学(Tohoku University)


尚、2009年版では上位200位内にランクインしていた以下の大学は、すべてランク外となりました。
・名古屋大学
・慶應義塾大学
・早稲田大学
・九州大学
・北海道大学
・筑波大学


大学ランキングは実に多面的な評価で行われます。英語圏の大学に有利な面もありますが(留学生の数や論文の被引用数など)、それだけで上位に入れるほど甘くはありません。上位校の顔ぶれを見ると、不断の向上と改革の成果が最終的なランキングとして評価されているのだと思います。従って、「当たらずも遠からず」がランキングに対しての個人的な印象なのです。


その他、関連記事。
 ↓↓
http://www.jsps.go.jp/j-kaigai_center/data/news/2011/uk_20111007.pdf


 

 

祝・ドイツ語版の刊行


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Die provozierende Kirche

Dr. theol. Graham Tomlin
175 Seiten
CHF 19.50


 

グレアム・トムリン先生の著書、 "The Provocative Church" のドイツ語訳が出版されています。小著ですが、原著(英語)は出版時から話題になった本でした。書名からして「挑発的(provocative)」です。


余談ですが、奥様のジャネット夫人もオックスフォード卒。フランス語とドイツ語がペラペラの方でした。彼女はきっとドイツ語訳の出来をチェックしていることでしょう。笑

 


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2012年5月19日 (土)

ティム・ケラー師 at オックスフォード大学


2012年は "The OICCU Mission" の年。OICCU("オイッキュー" と発音) とは、Oxford Inter-Collegiate Christian Union(オックスフォード大学キリスト者学生会)の略。Mission とは、オックスフォードおよびケンブリッジ両大学で、UCCF(英国キリスト者学生会)の学内活動(Christian Union)が3年一度開催する全学的大伝道週間のこと。


今回のメインスピーカーの一人は、リディーマー長老教会(ニューヨーク市)のティモシー・ケラー牧師(Rev Timothy Keller)でした。YouTube で一連の講演を聴くことができます。アメリカの有名神学者や有名牧師にほとんど関心がない私でも、ケラー師は別格です。ここ質疑応答セッションでのやりとりもさすが。ケラー師は 1989年にニューヨーク市で牧会を始める前、ヴァージニア州の片田舎で9年間牧会されていました。彼の鮮やかな福音弁証は、この9年間の経験が大きいと聞いています。地方での牧会に携わっている私にとっても、ケラー師は良き role model です。

 ↓↓
"Tim Keller answer's Oxford Questions"

 

Keller


2012年5月18日 (金)

ポピュリズム=素人が専門家を支配する


KGK主事の時代、関電に就職した卒業生がいるので、彼の名誉と仕事の尊厳のために、微力ながら以下のサイトを当ブログで紹介しておきます。


池田信夫氏

古賀茂明氏の妄想する「停電テロ」

ワイドショーの見事な印象操作テクニック


石井孝明氏

電力会社いじめはやめなさい ー狂気を排除し、再稼働と政策の正常化を

 

頭を下げる価値を上げるために


KGK40周年記念誌『主が建てるのでなければ』に、山口昇師の記念講演(「これからのKGKに期待するもの」)が収められています。以下は抜粋です。


・・・大学に進学する者の数がふえ日本が繁栄するのに、ヴィジョンも小形化してしまったような気がしてならない。地道に社会で貢献している卒業生はたくさんいる。地の塩としての彼らの貢献を私は心から尊敬している。しかしそれと同時に、神を知らない腐敗した為政者や、財界人、官僚、学者、芸術家の多い日本を思う時、りっぱな信仰を持ち、神を恐れる各界の指導者が輩出されることを私たちは祈らないで良いのだろうか。そのような大それた(?)ヴィジョンを持った人材が出現しなくて良いのだろうか。クラーク博士は「青年よ大志を抱け」と言ったが、KGKは「青年よヴィジョンを抱け」と言わないで良いのだろうか。プチブル的な小さなヴィジョンではなく、神のための大きなヴィジョンである。


大学4年の就活時、地元のトヨタグループの会社が第一志望でした。後に妻となる女性が「日本電装(現デンソー)」で勤務していたので、私は日本電装かアイシン精機に的を絞っていました。ところが、敬愛するS先生(当時は大学の先生で、後に献身されて私の所属教会の牧師となられた)から、「ゆるされるなら、神様がゆるして下さるなら、少しでも上を目指しなさい」と私を諭され、トヨタ自動車(株)に志望変更するよう熱心に勧めて下さったのです。最初は躊躇しましたが、結局、助言に従ってトヨタの面接を受け、内定をいただきました。そして卒業後、入社しました。4年間勤めましたが、S先生の助言に心から感謝した次第です。


S先生がアドバイスして下さった「ゆるされるなら少しでも上を目指す」とは、単に大企業を目指す、寄らば大樹の陰、ということではありません。冒頭で引用した山口昇先生のチャレンジを、クリスチャンとして受け止めるということです。S先生は広い視野で私にそのことを励まして下さいました。その後(ソニーでの勤務を経て)KGKの主事になった私に、S先生は再び、私の神学教育の場としてイギリス留学を励まして下さいました。


50歳を目前にした年齢となって、今度は私が若い世代のクリスチャンたちに「ゆるされるなら少しでも上を目指して」と激励したいのです。私自身が社会の指導層になる役目には召されませんでした。ですが、最高の環境と社会の指導層の一端を垣間見させていただいた経験をもとに、将来各界の指導者となって行く若いクリスチャンを励まし、チャレンジしたいのです。


精神科医であり受験指導でも著名な和田秀樹氏が、とてもストレート表現ながら、「青年よ(キリストにあって)大志を抱け」の真意を説き明かすようなことを述べておられます。


私は日本の政治家に欠けている態度は、選挙のときや、献金の相手には頭を下げるかもしれないが、そうでないときに、地元民のために頭を下げるということだと思う。偉くなるほど頭を下げる価値があがる。私だって、この松井(大阪府知事)という人の知的レベルについては馬鹿にしているし、野田さんだって、石原さんだって、橋下さんだって、好きではないが、向こうから頭を下げて、たとえば自殺予防とか、学力増進のために助けてくれと言われたら、ホイホイとOKするだろう。偉くなるほど頭を下げる価値が上がる。だから、私は頭を下げる価値を上げるために偉くなりたい。


若い世代のクリスチャンから、各界の指導者が輩出されることを願っています。そして社会のため、世界のため、そして何より主イエス・キリストの栄光のため、頭を下げる価値を上げるために偉くなってほしいと思います。


   「私はすべてのことを、福音のためにしています。
    それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためです。」

        コリント人への手紙 第一 9章23節(新改訳)


 

  

2012年5月17日 (木)

「後手、後手」「泥縄」「想定外」


言論プラットフォーム『アゴラ』に投稿された北村隆司氏のブログが興味深い。


北村 隆司

日本統治の悪しき「三種の神器」―「後手、後手」「泥縄」「想定外」


 


教会内の規則(教規等)も、ネガリスト体系の方がいいですね。ホント、そう思います。


 

2012年5月13日 (日)

危ない大学・消える大学?


以前、「危ない大学・消える大学」と題したブログで、鈴鹿国際大学という大学について触れました。


今年3月頃から、この大学の経営母体である学校法人「享栄学園」による国際交流基金不適切流用が、東海地方の有力紙『中日新聞』の社会面で度々取り上げられています。


報道に基づきながら、この問題を追っているブログを見つけましたので、紹介しておきます。

ブログ『猫の欠伸研究室 Research Labo of Cat's Yawning』より。

享栄学園(鈴鹿市)、国際基金を目的外流用


享栄学園の国際交流基金不適切流用、自己資金で補填へ


享栄学園、県議の要望書も面会も拒否、だそうです……この強気、どこから?


 
詳しいことは判りませんが、このブロガー氏が指摘するように、鈴鹿国際大学の財務状況がいよいよ悪化しているのかもしれません。三重中京大学(旧松阪大学)に続いて、地元の私立大学がまた一つ消えてしまうのでしょうか・・。


 

"ギリシャ風" に 教会を去る人


クリスチャンになって33年になります。

今まで主にアメリカで、日本で、イギリスで、

実に多くのクリスチャンを見てきました。


一方的に退会届等を送りつけて教会を去った人たちの中で、

ヤンキー牧師さんがブログ文で書かれた、


ギリシャ風クリスチャン


の特徴に当てはまっていない人を見たことがありません。

むしろ気味悪いくらい当てはまっています。

少なくとも私の経験からはそう証言できます。


別れた女の悪口を言う男は最低です。

同様に、自分から出て行った教会を悪く吹聴する者も最低です。

ギリシャ風クリスチャン。

信仰のデフォルト一歩手前、でしょう。

 

 

2012年5月 6日 (日)

バルナバ:「パラクレーシスの子」


後藤敏夫先生の文章に感謝いたします。


R. T. フランス先生も、デイヴィッド・ウェナム先生も、どちらも敬愛する素晴らしい教師でした。先生方に遥かに及ばない不肖の弟子が評するのも僭越ではありますが・・・。


後藤敏夫先生のブログ:『どこかに泉が湧くように』より

 ↓↓
バルナバ:「パラクレーシスの子」


因みに、文中で言及されているフランス先生の文章の出典は次のとおりです。

Dick France, "Barnabas - Son of Encouragement"

Themelios 4.1 (Sept. 1978): 3-6

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2012年5月 3日 (木)

井上良雄著 『大いなる招待』


新教出版社のホームページより

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井上良雄氏(1907―2003)は戦前、「芥川龍之介と志賀直哉」などで注目された気鋭の文芸評論家であったが、様々な彷徨を経て敗戦の年の復活節に受洗しキリスト者となった。戦後はキリスト者平和の会で活動、また東京神学大学でドイツ語を教授しつつ、バルト「和解論」全巻の翻訳に打ち込み、また日本基督教団の社会委員長を歴任するなど、一信徒として教会に仕えた。バルトと並んで氏が情熱を傾けて研究したブルームハルト父子に関する評伝『神の国の証人ブルームハルト父子――待ちつつ急ぎつつ』は名著との声価が高い。
没後に書斎で14冊の説教ノートが発見され、夫人からそれを託された戒能信生牧師が20編の説教を復元・校訂し、新書判2冊で刊行する。
本巻には1940年代と50年代のもの10編を収録。至純な魂と福音とが響きあう。


 


後藤敏夫先生のブログより

井上良雄『大いなる招待』キリスト教講話集Ⅰ(新教出版社)

 


1959年に『教会教義学』「和解論」Ⅰ/1「和解論の対象と問題」の翻訳が出ますが、その「あとがき」に井上先生は、「全く排他的(エクスクルシーフ)にイエス・キリストにだけ固着することによってこそすべてのものを包括的(インクルシーフ)に包むという彼(バルト)の神学が、私共の間でどれだけ理解されているだろうか。どれだけ理解された上で批判されているだろうか」と書かれ、「荘厳で且つ自由な彼の世界」「限りなく深く且つ豊かな彼の世界」とも述べておられます。この本に収められた井上先生ご自身の説教に広がっているのも、まさしくそういう世界です。


 

2012年5月 1日 (火)

正義と事なかれ主義


『サムライと愚か者 暗闘オリンパス事件』(山口義正著 講談社)
<あとがき>より


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本書のタイトル「サムライと愚か者」はウッドフォードが私に投げかけた「どうして日本人はサムライと愚か者がこうも極端に分かれてしまうのか」という問いからとった。本文にも書いたように、ウッドフォードは英国ではナイトの爵位を授けられており、ナイトを日本風に言えば「馬乗り侍」となるだろう。日本では戦時に騎馬を許されていたのは身分の高い武士であり、英国のナイトも同様である。当然、プライドは高い。
現代の日本語でサムライと言えば単なる身分の呼称ではなく、「プライドを持ち、自分の信ずるところに従って一人でも戦う人物」という意味で使われることが多い。「信念を持って正義や美意識を貫こうとする人物」と言い換えても間違いではないだろう。
オリンパス事件はこの「正義」を心の中心に近いところに置いている個人の情報提供によって第一報を書くことができた。

               (中略)

もう一つ記しておかなければならないのは、本書のテーマの一つである「日本人とは何者であるのか」だ。粉飾決算が発覚して2001年に経営破綻した米エンロンの例を引くまでもなく、オリンパス事件は日本以外でも起こりうる。
しかし日本人と欧米人とで決定的に違うのは「問題が生じてしまったときにどう対応するのか」であり、「対応に当たって透明性を保ちつつ断固とした姿勢で取り組むのか、問題を隠すことによって無難な着地点を探すのか」ではないだろうか。
今回の事件で日本人がどう振る舞ったのかを、英国人社長や米国人僧侶と比較すれば、特にその思いが強くならざるを得ないし、そこには東京電力と日本政府が原発事故にどう対応したのかという補助線を引いてみると、その違いは救いがないほど浮き彫りになってしまう。こうした違いの底流にあるのは、日本人の事なかれ主義だ。

               (中略)

そして疑惑の解明を求めるウッドフォードに菊川が言い放った「君は日本のことがわかっていない」との一言は、皮肉っぽい見方をすればそうした日本人の体質や思考法を指すのではないだろうか。こうした思いを巡らせば巡らすほど、(「日本以外でも起こりうる」と書いたのとは少し矛盾しているように見えるかもしれないが)オリンパス事件は日本社会を象徴する事件に見えてくるのだ。

 

2012年4月30日 (月)

イグナシオ・フレタ


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ジョン・ウィリアムスがかつて所有した1961年製の「イグナシオ・フレタ(Ignacio Fleta)」(スペイン・バルセロナのギター製作家)が、ニューヨークのクリスティーズで 2005年4月に7万4千4百ドルで落札された。当時のレートで1ドル約110円としてもおよそ820万円。一般人の感覚からすると。820万円もするギター!という印象だろうが、<ジョンが愛用したフレタ>というヴィンテージ物でも、ヴァイオリンの名器より1桁も2桁も安いのだ。

画像は、1961年製フレタで録音されたジョンのアルバム。


 


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ジョンが愛用した1961年製イグナシオ・フレタも素晴らしい楽器だったが、私は後にジョンが採用した1972年製のフレタの方が好きだ。この楽器で数々の名アルバムを残した。この 1972年製のフレタは今どこにあるのだろう・・。ジョンが今でも所有しているのだろうか。

1980年代から現在に至るまで、ジョンはグレッグ・スモールマン(オーストラリアの製作家)のギターを愛用している。でも私は、「フレタ」や「エルナンデス・イ・アグアド」(スペインの製作家コンビ)といった伝統的スパニッシュ・ギターを使用していた頃のジョンの音(ギターだけでなくタッチも)の方が好きだ。

画像は、1972年製フレタで録音されたジョンのアルバム。


2012年4月28日 (土)

『サムライと愚か者』

 
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誰よりも早く不正を暴いた経済ジャーナリストが追及! 名門企業を地獄に引きずり込んだ悪党は誰だ? 会社を私物化する経営者、粉飾に群がる闇の人脈、批判を潰される社員たち。オリンパス事件は「失われた20年」の日本そのものだ。マスメディアが無視する中、内部告発と極秘資料をもとに、著者がたった一人で追及した経済スキャンダルの全貌。

 

ウッドフォードが少しだけ感情を込めて私に尋ねたことがある。「日本人はなぜサムライとイディオット(愚か者)がこうも極端に分かれてしまうのか」 身の危険を顧みずに不正を追及しようとするサムライもいれば、遵法精神に欠け不正を働いたり、何の疑問も持たずにこれを幇助したりするイディオットもいる。不正を働いた企業側に回って正論に耳を塞いでしまう金融機関もイディオットに分類されるかもしれない。――本文より


ウッドフォード氏は、自浄作用が全く機能しない日本の会社の取締役会および株主会の現実に、「まるで『不思議の国のアリス(Alice in Wonderland)』の世界にいるようだ・・」と述べている。私はウッドフォード氏に教えてあげたい。いえいえ、企業だけではないですよ。キリスト教会もです、と。


 

このレビューはお薦め。
 ↓
http://www.amazon.co.jp/review/R2K2UFSILHALBC/ref=cm_cr_rdp_perm


 
マイケル・ウッドフォード著 『解任』(早川書房)のブックレビュー
 ↓
http://www.amazon.co.jp/review/R1XQZSJBJL8340/ref=cm_cr_dp_perm?ie=UTF8&ASIN=4152092912&linkCode=&nodeID=465392&tag=


 
 


2012年4月24日 (火)

有機的権威


ずっと信じてきたこと。


真の会衆制とは、牧会者の有機的権威に基づく、
ゆるやかな(または事実上の)監督制である、と。


昨今は、牧師も信徒も小粒になってしまったとつくづく思う・・。

 

後藤敏夫
どこかに泉が湧くように
『井出定治先生:「コーラム・デオ」(ただ神の御前に)』


http://spring496.blog.fc2.com/blog-entry-52.html 

 

 

2012年3月24日 (土)

熟年留学のススメ


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林 信吾著『熟年留学のススメ』(ミスターパートナー刊)を読みました。励まされます。著者は50歳過ぎて、スペイン語を学ぶためにスペインの語学学校に留学しました。学位取るとか、背伸びなんかしなくてもいい。学ぶのに年齢は関係ないと改めて思わされました。


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実はもう4、5年したら聴講でいいから学びに出たいと思っています。今度は、福音主義ではない環境で、福音主義神学を問い直してみたいものです。



 
福音主義ではない環境での福音主義者ということで、このブログ(英文)を思い出しました。悩む若き学生を励ましたジョン・ストットの助言はさすがだと思います。こういうアドバイスを、日本の福音派の牧師・伝道者、KGK主事はミッション系大学で学ぶ学生にできるだろうか・・。

Mark D. Roberts のブログ文、"Gratefully Remembering John Stott" より。


" ..... All truth is God's truth. There isn't anything true about the Bible that God doesn't already know. You don't have to fear that, if you dig deeply to find truth, you'll end up undermining your faith. Of course many of the superficial teachings of current New Testament scholarship are hostile to faith. But as you go beneath the surface and plumb the depths, you won't find anything that damages genuine Christianity. You may indeed discover that some of your beliefs aren't correct. In fact, I hope you do make this discovery, many times over. That's what happens when you live under biblical authority. But you never have to be afraid of seeking the genuine truth because all truth is God's truth.”


http://www.patheos.com/blogs/markdroberts/2011/07/30/gratefully-remembering-john-stott/

 

2012年3月20日 (火)

知るをえず


後藤敏夫先生のブログ文「愛についての断想(2):「知るをえず」(聖歌443番)」を読みながら、ジョン・パイパー師の本からある箇所を思い出しました。


よく言われます。『神は蛙のために死んだのではない。人間としての私たちの価値に応えて死んだのだ』。これは恵みを覆すような、ものの言い方です。実は蛙のほうが人間よりもましなのです。蛙は罪を犯しません。神など取るに足らないという軽蔑をもって、神に逆らったり反逆することもありません。蛙のためなら神は死ぬ必要はなかったのです。蛙ではなく、私たちが悪に値する存在です。私たちの負債はあまりにも莫大で、それを支払うとすれば神による犠牲以外にありません。

なぜ神が私たちのために犠牲を払われたのか、説明は一つしかありません。「これは神の豊かな恵みによることです」(エペソ1:7)。これだけです。私たちの価値ゆえではありません。ご自身の限りない価値から流れ出たものです。究極的に、これが神の愛です。

ジョン・パイパー著  藤本 満訳 『イエス・キリストの受難』(いのちのことば社) p. 36  


 

神様の目に、私たちはあるがままに高価で尊い者です。私たち一人ひとりの価値は、実に確かに神様がそのひとり子を十字架にお与えになるほどに大きいのです。しかし、本当にその通りであると、私たち罪人の側から言えるでしょうか。私という罪人は、あなたという罪人は、神様にとって、もっとも大切なひとり子を、人として与え、十字架に見捨てるほどに価値あるものだと、人間の側から神様に言えるでしょうか。
ある時期から福音派は、この問いに非常に簡単に「そうだ、私たちには価値がある」と答えるようになりました。というよりも、その答えを自明のこととして、それを問うことをしなくなりました。しかし、昔の聖徒たちは、その問いの前に深くためらいながら、「知るをえず」と告白しました。「なぜかは分からない。ただ確かに神様は私という罪人を愛して、御子を十字架に見捨てられた。私に分かるのは、私の罪は、神が愛する御子を十字架に見捨てなければならないほどに大きいということだ。罪人を愛したがゆえの主の悩みと苦しみだ。」

後藤敏夫 「愛についての断想(2):「知るをえず」(聖歌443番)」より

 


太字は「のらくら者」による。


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2012年3月19日 (月)

セミの抜け殻


教会堂の前に立つケヤキの幹に、セミの幼虫の抜け殻が掴まってました。


冬の間の風雪に耐えて、しっかり掴まってました。


春はもうすぐそこです。

 

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2012年3月12日 (月)

引き際の見事さ


2月16日のブログで「R. T. フランス先生の訃報」と題した記事をアップしました。


その後、ロンドンの高級紙『ザ・タイムズ(The Times)』の2月23日号に、アリスター・マクグラス先生による追悼記事(obituary)が寄稿されました。
 ↓↓
Prof. Alister McGrath's Obituary of New Testament scholar R.T."Dick" France

そこに書かれてあるように、フランス先生がウィクリフ・ホールの学長職を辞したのは、1995年の夏でした。私の在学中の時です。先生は1938年4月生まれですから、57歳の時です。


France's move in the summer of 1995 from being Principal of Wycliffe Hall to becoming rector of a group of isolated Anglican parishes in the diocese of Hereford,straddling the border between England and Wales, caused surprise at Oxford. Given his obvious gifts, some expected him to become a bishop (many still believe that thiswas a missed opportunity for the Church). Others thought that he would move to a senior academic appointment in North America, where his reputation was substantial, and his teaching gifts would be fully appreciated.


しかし、フランス先生はウェールズとのボーダーに近い寒村に移り住み、そこでの牧会を選ばれました。2002年に『マルコの福音書注解』、2007年には『マタイの福音書注解』をそれぞれ発表されました。どちらも本格的で専門的な注解書です。また、多方面から最高ランクの評価を受けている注解書です。これを承けて、マクグラス先生は追悼記事を "France had saved the best wine for the last.(フランス師は最上のぶどう酒を最後にとっておいた)" と結んでいます。


フランス先生の引き際は見事でした。このような恩師を持ったことを誇りに思い、神様に感謝しています。自分もいつかはかくありたいと思います。


 


 

2012年3月10日 (土)

"アウト・オブ・ザ・ブルー"


シンデレラおばちゃんことスーザン・ボイルを生んだイギリスの公開オーディション番組 "Britain's Got Talent"。


これはグループ名「アウト・オブ・ザ・ブルー( "Out of the Blue")」 によるセミファイナルでのパフォーマンス。曲は「ジャンプ(Jump)」。映画『フラッシュダンス』の "What a Feeling" も挿入されています。
 ↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=hnBQIojcueE


 
英語の慣用表現で "out of the blue" とは、「出し抜けに」とか「やぶから棒に」といった意味ですが、転じて「おひさしぶり」といった意味もあるようです。元々は "a bolt of the thunder out of the blue"(青天の霹靂)に由来しているようです。


ですが、ここでの "Out of the Blue (OOTB)" とは、オックスフォード大学の男子学生たちによるア・カペラのヴォーカル・グループのこと。目下のところ、私が一番ハマっている音楽です。蛇足ながら、ブルー、特に濃紺(ネイヴィー・ブルー)とは、伝統的にオックスフォード大学の色を意味します。ケンブリッジ大学との伝統のボート・レースに出場する代表選手たちを「オックスフォード・ブルー(Oxford Blue)」と呼びます。


「アウト・オブ・ザ・ブルー」の公式ホームページはこちら。
 ↓↓
http://www.ootb.org.uk/

 
 

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2012年3月 9日 (金)

連絡(後藤敏夫先生からの寄稿文について)


当ブログに後藤敏夫先生がご寄稿下さった文章(随想)は、先生にお返しするため削除させていただきました。当ブログから削除いたしましたが、後藤先生ご自身のブログ(→『どこかに泉が湧くように  旅の空の下、北の大地の断層に湧き出た断想』)で読むことができます。ぜひご訪問なさって下さい。ご寄稿によって、当ブログの霊性と品位を格段に上げて下さった後藤先生のご厚意に改めて感謝申し上げます。


後藤先生からの寄稿文は削除しましたが、後藤先生に関すること、または先生の著書に関する私の文章は削除の対象外ですので、カテゴリー「後藤敏夫先生」はそのまま残すことにしました。もし今後、後藤敏夫先生に関する文章を書いた場合、このカテゴリーに分類いたします。よろしくお願いいたします。


 

2012年2月29日 (水)

この本、読んでみようと思います。


池田信夫氏のブログで触発されました。
 ↓
http://agora-web.jp/archives/1435018.html

 

行動経済学の実証研究が一致して示すように、先進国ではGDPと幸福度にはまったく相関がなく、大事なのは所得より<意味>である。

最低限度の所得さえあれば、老人にとって最大の問題は年金より退屈だろう。サラリーマンは仕事をやめてから平均20年以上、何もすることがない。


男女とも平均寿命が80歳を超えるなんて、恐らく人類史上初めての経験ではないでしょうか。そうなると、「暇と退屈」は意外と老後の重要なテーマではないかと思います。「趣味の神学」なんて、これからの大事な領域かもしれませんよ。

 

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2012年2月17日 (金)

お知らせ(後藤敏夫先生のご寄稿について)


大事なお知らせがあります。

後藤敏夫先生のご寄稿について、当ブログのフェイスブック移行に伴い、

後藤師と協議の末、先生が今後はご自分のブログを始められることで

私共双方の了解となりました。更新を待っておられた方々には

お知らせが遅れたことをお詫びいたします。


そうこうする間に、後藤先生の新しいブログが始まりました!!

どこかに泉が湧くように  旅の空の下、北の大地の断層に湧き出た断想』
  ↓↓
http://spring496.blog.fc2.com/


ぜひブックマークして下さい! 私も更新を楽しみにします!


今後、当ブログのカテゴリー(「後藤敏夫先生」)のバックナンバーは、

先生にお返しする予定でおります。先生と打ち合わせた後、改めて

ブログ来訪者の皆様に連絡いたします。


 

2012年2月16日 (木)

R. T. フランス先生の訃報


去る2月10日にウィクリフ・ホールでの恩師、R. T. フランス先生が主のもとに召されました。先生は1938年4月2日生まれでしたから、73年のご生涯でした。ご遺族の上に主の格別の慰めと励ましをお祈りいたします。(その他、先生に関する情報はフェイスブックのタイムラインに書いております。)


過去のブログから、フランス先生に関連したものを以下に紹介しておきます。


恩師たち
http://seikouudoku-no-hibi.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_06d3.html


フランス先生の邦訳書
http://seikouudoku-no-hibi.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_b1d2.html


ポール・ザールさんのこと
http://seikouudoku-no-hibi.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-2941.html


「教えの風」(エペソ 4:14)とならないために
http://seikouudoku-no-hibi.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/414-dfff.html

 


 

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2012年1月14日 (土)

今後のブログ運営について


昨年末から更新が滞り、そうこうするうちに新しい年2012年になって
しまいました。遅ればせながら、今年もどうぞよろしくお願いいたします。


実は昨年末あたりから発信の場をブログからフィスブック(Facebook)に
軸足を移しつつあります。不特定多数が閲覧するブログから、FB上で承認した
友人関係の人たちとの交流に発信の場を変更しつつあります。


だからと言ってブログを閉じる訳ではありません。
幸い、本ブログをご覧下さっている方々は、登録によって更新時にアクセス
される方が多いようなので、今までより更新の頻度が低くなっても特に
問題が生じることはないと考えております。


今後は私自身の投稿もありますが、後藤敏夫先生からご寄稿いただいた時を
更新の節目とする方向で考えています。幸い、カテゴリー「後藤敏夫先生」には
相変わらず多くの(海外の在外邦人の方々からも)アクセスをいただいております。


これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 

2011年12月 5日 (月)

12月なんですけど・・・。


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教会堂の外壁にカマキリが・・。きょうは12月。それも寒い日でした。カマキリ以外にも、空飛ぶハエ、網を張るクモ etc と、活動する昆虫を12月に入ってもよく見かけています。以前、クワ友(オオクワガタの飼育友だち)が、「子どもの頃、あれは間違いなく年の瀬だったけど、たまたま近づいた木からパッとアブラゼミが飛び立ったの見た」と言ってました。「そんなバカな・・」と真面目に聞かなかった私ですが、最近はあり得るかもと思うようになっています。そういえば、オオクワガタ飼育を始めた15年ほど前は、10月下旬にもなるとクワガタは餌(ゼリー)を食べなくなり、11月には室内でも完全に冬眠モードでした。ですが現在では、一部の♀クワガタはいまだにガツガツ餌を食べています。信じられない・・。う〜ん、何かおかしいですねー。

 

2011年12月 3日 (土)

エルネスト・ハルフテルのギター協奏曲(1)


最近、スペインの作曲家エルネスト・ハルフテル(Ernesto Halffter スペイン語では通常 H はサイレントですが、この作曲家のドイツ系の名字はスペインでも H が発音される傾向あり)の『ギター協奏曲』をよく聴いています。中学生の頃、ナルシソ・イエペスが演奏したレコード(指揮 オドン・アロンソ、スペイン放送管弦楽団)を擦り切れるくらい聴いていたのです。ここ30年くらいご無沙汰していましたが、最近CDをかけて妙に懐かしくなったのでした。


ハルフテルと彼のギター協奏曲については後日改めて書きたいと思います。スペイン8人組と呼ばれた作曲家集団(先日紹介したサルバドール・バカリッセも同志)の一人であり、大家マヌエル・デ・ファリャの弟子にして師匠の未完の大作オラトリオ『アトランティダ(Wikipedia でのカナ表記は「アトランティーダ」となっていますが、原語は "Atlántida" と、第2音節にアクセントがあるので、<アトンティダ>がより原語に忠実な表記。余談ながら、かつて日産自動車から「セフィーロ」と名付けられたクルマがありました。原語は第1音節にアクセントがありますから(céfiro)、<フィロ>とカナ表記するべきだったと思っている)』を補筆完成させた作曲家であります。甥っ子のクリストバル・ハルフテルもスペインの楽壇では著名な作曲家です。


彼の『ギター協奏曲』をきっかけとして、その他の作品にも興味を持つようになりました。ここでは、若き日の(本当に若い!)アリシア・デ・ラローチャが演奏するピアノ独奏曲 "Danza de la Pastora(羊飼いの踊り)" を紹介いたします。ラローチャの粋な演奏が曲を引き立てています。
 ↓↓ (1分20秒頃から演奏が始まります。)
http://www.youtube.com/watch?v=PU_UnEM-ZV8&feature=related


 

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因みに、この動画の元であるDVD("The Glory of Spain(スペインの栄光)" )は、マドリッドのプラド美術館所蔵の絵画とスペインの音楽を紹介する映像です。案内役はなんとアンドレス・セゴビア(クラシックギターの巨匠)。ゲストに上記アリシア・デ・ラローチャ(ピアノ)とビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(声楽)を迎えた豪華キャストです。字幕版は無いようです。私もアメリカから取り寄せました(従って、リージョンコードにお気をつけ下さい)。セゴビアも英語で語りますので、英語が分かれば楽しめます。仮に解説やナレーションが分からなくても、映像と音楽で十分元が取れます。


 


2011年11月30日 (水)

牧師の殺し方


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大阪冬の陣は橋下さんと大阪維新の会の圧勝で終わりました。Chikirin さんが言うように、これから橋下氏に起こるであろうことはすべてこの本(前横浜市長の中田宏氏の著書)に書いてあります。既得権益を守ろうとする勢力の凄まじい抵抗が目に浮かびます。中田さん自身は「自分は中途半端だった(から「出る杭は打たれる」で叩かれた)」とおっしゃってます。その点、橋下氏は「出過ぎた杭」だから叩きようがないかもしれません。しかしだからといって抵抗勢力が黙っているわけがありません。


「政治家の殺し方」はそのまま「牧師の殺し方」でもあります。まさに現実に私自身の身に起こっていることだからです。私たちの教会が所属教派からの脱退を決議する前からすでに始まり、その後は教派側からあの手この手の嫌がらせ工作(ほとんど "脅迫")が延々と続いています。表から(議事録や表明文等の文書での誹謗)、裏から(差出人不明の怪文書は何通も届けられている)、とにかく蛇のような執念深さであります。面子と財産がからむとクリスチャンもへったくれもないようです。ブラックな噂ですが、9桁(つまり億の金額)になると命(生命的 or 社会的)を狙われるそうな。私たちの教会の財産目録は、幸か不幸か9桁に達するので、私も危ないかも。(先日訪ねてくれた友人の牧師には、表方面・裏方面それぞれの文書の一部を見せておきました。というか、教会廊下の掲示板にも貼っているので、他の文書も見られてしまっているのですが。「情報の遮断」なんて無いんです。教会関係者が書いたとは信じ難い内容に驚き呆れておられました。)


こういうことはブログで書くまいと思いましたが、しかし殺される前に遺言として一言ボヤいておきます。


 

 

2011年11月17日 (木)

キリスト教思想研究系ブログの紹介


京都大学大学院文学研究科・芦名定道教授のブログ。

『自然神学・環境・経済』
 ↓
http://logosoffice.blog90.fc2.com/


 

芦名先生は、アリスター・マクグラス著 『「自然」を神学する──キリスト教自然神学の新展開』(教文館)の翻訳者のお一人であり、<訳者解説>の執筆者です。 因みに、後藤敏夫先生の『読書ノート』で言及されている水垣渉先生は、1997年まで京都大学大学院文学研究科の教授であられました。芦名先生は同研究科で助教授・准教授を経て、2008年5月から教授をなさっています。余談ですが、水垣先生とは「志学会」の第2回オリエンテーションでお会いしたことがあります(が、私のことなど全く覚えておられないと思います)。随分前のことです。

 

2011年11月14日 (月)

『科学的神学』


2008年5月1日のブログより。

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思うに、キリスト教の長い歴史と伝統の中で、自然神学が退けられたのは20世紀のみだったのではないでしょうか。もちろん、あのカール・バルトの巨大な影響です。私は最近、弁証論の授業準備の中で改めてジャン・カルヴァンの『キリスト教綱要』(渡辺信夫師による「改訳版」)、とりわけ第1篇を注意深く読んでみましたが、少なくともカルヴァン自身は、バルトのように自然神学を理解していなかったとの結論に達しています。

バルトを始め20世紀の神学者たちが自然神学を退けたのは、自然神学を「(啓蒙主義の影響により)人間理性による神存在の証明とそれへの道筋」と見なし、本来の意味を逸脱してしまったからではないかと思うのです。(もちろん、バルトがそのように傾斜した、ナチスの台頭等、彼の置かれた時代状況や時代精神は十分に理解できます。)

残念なことは、キリスト教神学において自然神学の地位が失われると、啓蒙主義が助長した「宗教の私事化」と相俟って、神学自体の「公共性」も失われて行きました。今日、多くのクリスチャンにとって神学とは、教会の中だけで通用する学問と受け止められています。幸か不幸か、ポストモダンの到来により、マイノリティーに対する発言権付与の恩恵で、神学は「教会のための学」と自称することで、かろうじて諸科学のパブリック・スクエア(公共の場)において存在の認知を得ているのが実状かと思われます。


アリスター・マクグラスは、自著『科学的神学("A Scientific Theology")』の中で、「科学的神学は一つの公共の神学(a public theology)である」と述べています。つまりキリスト教神学は、神の創造としての「自然の神学」を発信しなければならないということです。ポストモダンの勃興によって啓蒙主義の「普遍的理性」の地位は終焉を迎え、発言権を与えられた各立場が「自然」の見方について、公共の場で競合するようになりました。キリスト教神学がこの競合に参加できるかどうかが、21世紀のキリスト教を考える上で極めて重要な課題となる。ここにマクグラスの危機意識とキリスト教の展望が込められていると見ることができるでしょう。キリスト教神学をもう一度学問の主流に引き戻すためには、「伝統に媒介された合理性」(アラスデア・マッキンタイアによる洞察)、つまり諸学問との対話を成し遂げる必要があるわけです。

従ってマクグラスにとって自然神学を語るとは、「キリスト教の伝統からの創造の教理の再発見」であり、同時に、自然諸科学による自然の解釈とそれにより成立する作業仮説の「方法論」を援用することで、ちょうど自然科学が観察データを理論化するように(自然科学の諸法則探求の方法論の背後にあるより確かな存在論への確信である「批判的実在論(critical realism)が要請される)、神学は自然(マクグラスは第2巻において自然をも含むより広義の「実在(Reality)」が神学の対象であることを語る)の表象としての理論、つまり「教理」の形成へと向かうことであるのです。教理とは、共同体(教会)の外観を形成する機能(マクグラスは『教理の誕生("The Genesis of Doctrine")』という本の中で、これを 'social demarcation' と呼ぶ)だけではなく、競合する他の共同体とのコミュニケーション手段でもあるのです。それは公共の場で、教会が他の共同体と直面しつつも、なおその独自性を維持して存在し続けることの正当性を担保するためなのです。


『科学的神学』は、第1巻「自然(Nature)」、第2巻「実在(Reality)」、第3巻「理論(Theory)」の全3巻から成る、1000ページにもわたる「神学方法論」の本です。残念ながら現時点では邦訳はありませんが、マクグラス自身が全3巻をダイジェストにまとめた本、"The Science of God" が、『神の科学:科学的神学入門』という邦題で教文館から出版されています。この邦訳の出版意義は大きいのです。

『科学的神学』は神学方法論であり、これから本論の著述へと向かうわけですが、マクグラスはその本論を『科学的教義学("A Scientific Dogmatics")』と仮称しています。本論へ向かう作業過程をまとめた本が2006年に出版されました。"The Order of Things: Explorations in Scientific Theology" という本です。

マクグラスは一歩一歩『科学的教義学』へと向かっています。最近出版された "The Open Secret" や来年のギフォード講義等で自然神学の更なる復権に務め、2010年以降には第1巻が刊行されるのではないでしょうか。オックスフォード大学は自然神学研究の最先端の一つとなりつつあります。今年6月に開催されるカンファレンス、"Beyond Paley: Renewing the Vision for Natural Theology" を紹介しておきます。

http://www.naturaltheology.org/beyondpaley_home.html


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2011年11月 2日 (水)

予告(後藤先生の随想と読書ノート)


後藤敏夫先生が随想と読書ノートをご寄稿下さいました。いつもながら感謝に堪えません。随想は明日(11/3)の未明に、読書ノートは来週月曜日(11/7)の未明にそれぞれアップいたします。お楽しみに!


尚、ブログ内カテゴリー「後藤敏夫先生」に収められた随想のバックナンバーもぜひお読み下さい。

 

2011年10月31日 (月)

『ギター小協奏曲 イ短調』


今でこそ山下和仁さんやジョン・ウィリアムスの演奏を好んで聴いていますが、かつての私はナルシソ・イエペスの大ファンでした。幾度も来日したイエペスですから、リサイタルに出掛けたことも何度かあります。そんな懐かしさからか、ここ最近、イエペスのCDをよく聴いています。


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本日聴いたのは、イエペスが弾いたギター協奏曲を集めたCDでした。とりわけ、バカリッセ作曲の『ギター小協奏曲 イ短調』に耳を澄ませました。以前、<バカリッセの「バスピエ」>と題したブログを書きました。同じ作曲者が、イエペスにギター協奏曲を献呈しているのです。


サルバドール・バカリッセ(Salvador Bacarisse、1898-1963)はスペインの作曲家です。「スペイン8人組」と呼ばれた気鋭の作曲家集団の中心的存在でしたが、スペイン内戦後はフランコ軍事政権を拒絶しフランスに亡命。その後、パリで没しました。イエペスも若い頃はパリで修行し(ピアニストのワルター・ギーゼキングやヴァイオリニストのジョルジュ・エネスコらに師事して演奏法を学んでいました)、それがきっかけでルネ・クレマン監督の名画『禁じられた遊び』の音楽をギター1本で担当する機会を得たのでした。(世間では、イエペスといえば「禁じられた遊び」でしょう。 →http://www.youtube.com/watch?v=UN6tcdiqELk) 同じ頃、バカリッセはイエペスと出会い、彼の演奏にインスピレーションを得て何曲かギター曲を書いています。「パスピエ」を含む『小組曲』や『ギター小協奏曲』などがそれらです。


『ギター小協奏曲 イ短調』は、かつてナルシソ・イエペスの独奏、オドン・アロンソ指揮のスペイン放送管弦楽団の演奏(名門ドイツ・グラモフォンのレーベル)で、ギター愛好家の一部が知るくらいの曲でした。それが一躍世界中の人に知られる機会となったのが、1995-1996年のシーズンに当時女子フィギュア・スケート界に君臨したミシェル・クワン選手(アメリカ)が、彼女のショート・プログラム(SP)にこの協奏曲の第2楽章「ロマンサ(Romanza)」を採用したことでした。YouTube にアップされている、世界選手権での彼女のSPをご覧下さい。流れている演奏は間違いなく、上記演奏者たちによる録音からの抜粋です(但し1分48秒頃から流れる曲は別の曲)。
 ↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=Iok96fRDFYA

 

『ギター小協奏曲 イ短調』』は全4楽章、22分ほどの曲です。第2楽章「ロマンサ」(アンダンテ)は、冒頭のギターによるメロディーの後、オーケストラが胸一杯のトゥッティ(総奏)で応える大変美しい旋律をたたえた佳作です。ミシェル・クワンはこの総奏をバックにスケールの大きな舞いで観客を魅了したのでした。それ以来、「ロマンサ」は創作バレーの音楽等にも用いられるようになり、有名なギター協奏曲『アランフェス協奏曲』の第2楽章(アダージョ)に次ぐ認知を世間で得ることになりました。


では、ナルシソ・イエペスのギター、オドン・アロンソ指揮のスペイン放送管弦楽団の演奏で、第1楽章(アレグロ)と第2楽章(「ロマンサ」、アンダンテ)をお聴き下さい。

第1楽章(アレグロ) ※哀愁を帯びたこの楽章の旋律も大変美しい。
 ↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=PZjwVX8tu1w&feature=related

 


第2楽章(「ロマンサ」、アンダンテ)
 ↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=PPRYQfBqwvE&feature=related


 

2011年10月25日 (火)

亀の横断


運転していると、2回も亀が道路を横断している光景に出くわしました。


冬眠の準備してはちと早いし・・。まさか、大地震の前兆???


ちょっと気になりました。


 


 

2011年10月17日 (月)

『ザ・ラストバンカー』


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元日本郵政社長・西川善文氏の回想録『ザ・ラストバンカー』(講談社)が出版されました。私はまだ入手していませんが、一足先に、池田信夫氏がアゴラ・ブログで紹介されています(→不良債権と寝た男ー『ザ・ラストバンカー』)。分かってはいましたが、やはりショックなのはイトマン事件に触れながら「当時の不良債権をめぐる事件には、同和と在日と暴力団が必ずからんでおり、イトマンはこの三つが複合した「事件のデパート」だった」と池田氏が総括する箇所です。


私は 2009年8月25日の「ナンシー・ハンナさん」と題したブログで奇しくもイトマン事件に言及しています。最近の島田紳助騒動を鑑みる時、いったいあの頃から日本は何か変わったのでしょうか・・?


本書は全体としては面白味に欠ける内容らしいですが、住友銀行頭取経験者としてイトマン事件を回顧する部分は貴重な証言かもしれません。

 

2011年10月10日 (月)

『ミニストリー』誌から


普段は月曜日がお休みなのですが、事情あって今週は本日を勤務日とし、明日にお休みをいただくことにいたしました。


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牧師室で執務していると宅配便が来、『ミニストリー』誌の最新号(秋号)が届けられました。号を重ねるごとに内容の充実が著しく、最近は新刊が楽しみになっています。今号の特集は「ボクシたちのリアル II  現代牧師白書 生活編」です。前々号の「お仕事編」を承けての続編ということで、豊富な経験(または調査)と深い思索と練られた文章による個々の記事がテーマを多面的に掘り下げています。牧師・伝道者はもちろんのこと、信徒の皆さんにも広く購読をお薦めいたします。


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そんな中で「おやっ」と目を留めたのが、このインタビュー記事。おお、Tさんではないですか!(画像ではお名前の部分を消しています。) 「今ドキ神学生事情」という現役神学生へのインタビュー記事です。このブログをご覧になっている(かもしれない)KGKの卒業生の皆さんには懐かしい人ですよね。Tさんは東海地方の大学を卒業後、KGKの主事を3年間勤められました。私なんぞは当時彼に継続するよう強く慰留したものですが、彼は神様から強い召しをいただき、慰留を振り切って外資系保険会社の営業職の世界に飛び込んだのでした。(その辺の事情や経緯はインタビューをご覧あれ。)その世界で根を下ろすのかなと思っていましたが(何しろ彼はトップの営業成績を誇り、都内某一等地の営業所を任されていた)、7年間勤務した後に再び伝道者への召しを受けて、昨年4月にTCU教職課程(旧東京基督神学校相当)に入学したのでした。


私は伝道者として今まで多くの人に特に進路選択の問題で助言してきましたが、唯一、空振り大三振したのはTさんへのアドバイスだったと今回のこのインタビューを読んで改めて悟りました。彼自身の導きのとおり、KGK主事を辞して一般社会の営業職で働いたことは、伝道者への召しを強固にする経験として用いられ、神学校で何を学びどう研鑽を積むべきかの方向性を間違いなく示したからです。Tさんがインタビューで語っているように、あのままストレートで神学校に行っていたら、ここまで召命と研鑽のオリエンテーションが明確に研ぎ澄まされたかは確かに疑問であります。私は、自分の助言が不適切であったことを認めるとともに、皆からの慰留を振り切り、導きを信じて営業職の経験を選んだ彼に敬意を表します。主がTさんの家庭生活と神学校での学びを更に豊かに祝して下さるようお祈りしております。 


ところでTさんの問題意識は、私のそれと重なるところが多いことがインタビューを読んで分かりました。彼が私の見解に同意されるかどうかは分かりませんが(かえって笑われてしまうかも!)、彼がインタビューで語っていることを私なりに以前ブログで書いたことがあるので、一応この場で(再度)紹介しておきます。


   1)「社会経験」は偶像か?


   2)神の子たちの本能


   3)受肉における適応と連帯


   
本当は4番目の文章も途中まで書いたのですが、わけあってアップするのはやめました。少しさわりだけ紹介しておくと、これは C. S. ルイスによるオックスフォード大学マンスフィールド・コレッジでのペンテコステ説教となった『転位(トランスポジション)』という論考から着想を得た文章でした。『転位』の邦訳は、例えば、新教出版社刊の「C. S. ルイス宗教著作集」の中の『栄光の重み』に収録されています。ただ、西村徹氏による翻訳は概して直訳調で、熟れた翻訳とは言い難いと思います。


本題から脱線しますが、一例を挙げましょう。ルイスが『転位』の中で、同一の感覚的経験が、時と場合に応じて異なる解釈を生み出すことの論証を試みる箇所で、その経験の主観的解釈を「感情=エモーション」と名付けた上で、この感情と「感動(=センセーション)」との対応関係が一対一の関係でないことを指摘し、次のように述べる部分です。

西村訳ではこうなっています。

   「また一方の系統が他方の系統よりも真に豊かである場合、その種の対応は
    ありえないはずです。もし、とにかくも、貧しい系統の中に、豊かな系統
    に相応すべきものがあるためには、貧しい系統の中の各要素に一つならぬ
    意味を付与するしか方法はありません。豊かなものの貧しいものの中への
    転位は、いわば、算術的ではなく、代数的でなければなりません。」
    
                       『栄光の重み』 p. 137


これに対し、有賀寿師は次のように訳しています。

   「じじつ、一つの体系が他のものより実際に内容のあるものである場合には
    、そういった種類(一対一という)の対応関係は決して存在しえないので
    ある。かりにより内容のある体系をより内容のない体系として表現する
    はめに立つとするならば、それは、より内容のない体系の一個一個の要素
    に一つ以上の意味を付与することによっておこなわれよう。すると、内容
    のあるものからないものへのトランスポジション(転換)は、いわば算術
    的なものとなるよりは、代数的なものとならざるをえまい。」
    
          『信仰と科学』 第1号(1972年) すぐ書房  p. 14 


ルイスの原文がそもそも難解な内容ですが、有賀訳の方がルイスを意図をより明確に訳出していると思います。とくに、ルイスが「転位」を芸術表現(絵画や音楽)と関連させて説明しているので、西村訳のように「(貧しい系統の中に、豊かな系統に)相応すべきものがあるためには」と直訳的に訳すより、有賀訳のように「(より内容のある体系をより内容のない体系として)表現するはめに立つとするならば」と訳した方がずっと分かり易くなりましょう。


本題に戻ります。この『転位(トランスポジション)』を通じてルイスが言わんとすることは、「低次の世界のできごとは、高次の世界についての理解を待たずしては、本当は不可能だ」ということです。例えるなら、山下和仁さんがドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』の全楽章をギター1本の編曲にし演奏したことは、もとのオーケストラ総譜(スコア)とのその演奏(サウンド)を知っている人には深い意味を持つ編曲と響くでしょうが、そうでない人には普通のギターが与えるだけの感動しか与えない、ということです。感情(エモーション)と感動(センセーション)の関係が必ずしも一対一ではない理由がここにあります。


同様に、信仰生活においても、感情と感動の対応関係は一対一ではありません。同じ事象を「より豊かに感動する」人と、「ただ感じる」人とがいるのです。牧師が、信徒の日常生活の眺めて「ただ感じる」だけならば、信徒がその説教に失望するのも当然でしょう。より高次の理解を求める時、それが時により多くの経験を積む要請が生じる場合があります。「社会経験」とは、そのために寄与する大切な経験なのだと私は信じます。


ルイスは、『転位』の中で、「転位」と「受肉(の神学)」との関係にも言及しています。ここまで書けば、私が上記「受肉における適応と連帯」に続いて、『転位』から着想を得た第4番目の文章を書こうとした意図を想像していただけると思います。そして、Tさんのインタビューとルイスの『転位』が重なってくるのです。


  

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2011年10月 7日 (金)

パッカー著 『ピューリタン神学総説』


昨日の国内ニュースは小沢氏の裁判、国際ニュースはスティーヴ・ジョブズ氏の訃報でもちきりでした。私も何か書こうかと思いましたが、ヤンキー牧師さんが的確な追悼ブログを書いて下さったので、やめることにします。昔、ビリー・ジョエルが歌った "Only The Good Die Young" という曲がありましたが、ジョブズ氏の死がまさにその題名どおりと痛感した次第です。ご遺族とアップル社に主の慰めとお支えをお祈りいたします。


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8月下旬に名古屋で開催されたギデオン協会の全国大会・牧師招待晩餐会で敬愛するS牧師とお会いした折、本書の邦訳が出版されたことを知らされました。もちろん、原書はすでに何年も前に目を通していましたが、この度の出版を心から歓迎し感謝したいと思います。ウェストミンスター会議やピューリタン研究に造詣の深い松谷好明先生(聖学院大学特任教授、ピューリタニズム研究室長)が訳して下さったということだけでなく、「訳者あとがき」を読めばお分かりのように(最初に読むことをお薦めします)、何より著者(パッカー博士)に対する訳者の深い敬愛の思いが滲み出た訳業であるからです。(パッカーの生涯については、アリスター・マクグラス著の伝記があります。)


本の帯には次のようにあります。(上の画像は帯を外している)


「禁酒禁煙、禁欲主義で、喜びを知らぬ律法主義者」、「知性、ユーモアに欠けたファンダメンタリスト」 従来の誤った紋切り型ピューリタン像を完全に覆し、信仰と神学の「巨人」として屹立する真のピューリタン像を生き生きと描く画期的な研究。J. I. パッカーは、ピューリタン神学研究の第一人者であり、世界で最も影響力のある福音派神学者である。

 

帯の宣伝文句は的外れが多い中、本書のそれは核心を突いて見事です。

 

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『ピューリタン神学総説』は、すべての章が珠玉の内容ですが、私はパッカーがジョン・オウエン(John Owen)の神学思想を論じた章(第五章 ジョン・オウエンの「神からの伝達」論、第十二章 ジョン・オウエンの霊性、第十三章 ジョン・オウエンの「御霊の賜物」論など)がとりわけ興味深かったです。画像はオウエン著の "The Death of Death in the Death of Christ"(The Banner of Truth Trust 刊) ですが、パッカーは大変優れた序論と構成分析を寄せています。 他に、例えばリチャード・バクスターについての言及もありますが、バクスターについては以前このブログで紹介した本などもぜひ参照されるとよいでしょう(パッカーの学位論文も参照のこと)。「ジョナサン・エドワーズとリバイバル」(第十九章)は、ロイドジョンズ著『リバイバル』(いのちのことば社)と併せ読むと良いかと思います。


本書の価格は5,400円+税と、決して安い本ではありません。ですが、牧師・信徒を問わず、生涯の座右の書となり得る内容豊かな神学書であり信仰書です。ぜひ購入して、熟読されることを心からお薦めいたします。蛇足ながら、<霊性>ということについて、私たちプロテスタントのキリスト者が安易に他の伝統(カトリックや正教会等)に源泉を求めるのではなく、例えばまずはピューリタンの神学と信仰から学んでみることが大事ではないでしょうか。借り物の霊性ではなく、地に足の付いた霊性を自らの伝統から汲み上げたいものです。 

 

2011年9月30日 (金)

リーダーシップを求める理由


9/27 の「Chikirin の日記」ブログ文は、一読の価値ありです。
過日の拙ブログ「ノイジー・マイノリティ」とも直接・間接に関連しています。


問題意識は、


「欧米ではなぜ全員にリーダーシップを求めるのか?」です。


Chikirin さんの答えは明快かつシンプルです。


「全員にリーダーシップがある組織は、一部の人にだけリーダーシップがある組織より圧倒的に高い成果がでやすい」んです。だから学校も企業も、欧米では(&外資系企業では)全員にリーダーシップを求めるのです。


例えば、「10人全員がリーダーシップ体験のあるチーム」と、「リーダーシップ体験をもつ一名だけがリーダーとなり、残りの9名はそういう経験のない人達」というチームの場合、後者のチームはどうなるか?


    正しいかもしれないけど、物事を前に進めない発言を繰り返し、

    本旨に関係のないくだらないことにいつまでもこだわる。

    ちょっとでもややこしくなると、あからさまに無関心な態度を示し、

    ドタキャンをしたり勝手に役割を離脱したり・・・、するのは、

    「自分がリーダーとして苦労したことのない人」ばかりです。
            ・
            ・
            ・
    「組織を動かして成果を出すことがどれほど大変か」、

    実体験で学んでいない人がチームにいると、

    恐ろしく非効率なことになるのです。


 
最後にこう結びます。


欧米の教育機関や外資系企業が求めているのは、リーダーシップそのものだけではないのです。彼らは「組織が高い成果を達成するためには、各メンバーはいかに振る舞うべきか」を、体験的に理解している人を求めています。そのために「全員に豊富なリーダーシップ体験が必要だ」と考えているのです。


 
全文はこちら。
 ↓↓
Chikirin の日記「なんで全員にリーダーシップを求めるの?」

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110927

 

イテロがモーセにしたアドバイス(出エジプト記18章13〜26節)の意味が、違った観点から理解できました。モーセ自身のためだけでなく、群れのためでもあるわけですね。リーダーシップ体験を持つ者が群れの中で増えることの効用を教えられました。

 
それにしても不思議なのは、リーダーとして苦労しているはずの牧師たちの会議がかくも非効率なのはどうしてでしょうか??? 笑 

 

2011年9月29日 (木)

昔の本を引っ張り出してみた


Douglas W. Frank、"Less than Conquerors: How Evangelicals Entered the Twentieth Century"、(W. Eerdmans、1986)


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ここ数日、訳あって少し昔の本を引っ張り出して読んでいます。まだ会社に勤めていた頃でしたが、有賀寿先生からすすめられ、読んでみた本でした。最近、アメリカの福音主義のルーツについて、ある人に説明しなければならない事情があって再読したのでした。当時、ほとんど何も分かっていなく、著者の議論にあまり実感は湧いてきませんでした。しかし再読してみて、これは "Must" の本との確信に至りました。初版は1986年に出版されましたが(私も当時入手した)、一昨年(2009年)に装丁が変わって別の出版社から出たようです。新装版の副題には "The Evangelical Quest for Power in the Early Twentieth Century" と銘打たれ、大衆伝道者ビリー・サンデーの写真が表紙にあります。新装版の副題が本書の議論の狙いをよく表しています。恐らく日本では全くと言ってよいほど知られていない著作(著者も含めて)でしょう。しかし、昨今の情勢の中で一読の価値は十分にある本です。(著者の D. フランクは、アメリカ福音派の今日の状況を正確に洞察しています。今から25年前の本なのに。) ここでは敢えて内容に触れませんが、裏表紙の記述の一部を以下に紹介しておきます。尚、書名の "Less than conquerors" とは、ローマ書8章37節の「圧倒的な勝利者(新改訳)」の英訳、"More than conquerors" の皮肉というかパロディーであることだけ申し添えておきましょう。あとは読んでのお楽しみということで。では!


・・・ Frank discusses in detail three of the most popular responses of American evangelicals to their loss of power: dispensational premillenialism, the "victorious life" theology, and the popular revivalism of Billy Sunday. Each of these, he believes, betrayed a harmful misuse of the gospel. Less than Conquerors is a call to replace the blurred and self-serving gospel of a besieged subculture with the genuine gospel of Jesus Christ.


 
教会史家、ジョージ・マーズデン(George Marsden)の推薦のことば

"I am enthusiastic about Less than Conquerors. It succeeds better than any book I can think of in making solidly-based history edifying. This is an important and prophetic theological critique of the foundational assumptions on which most of the distinctives of twentieth-century American evangelicalism have been based. It is like reading a Jaques Ellul who writes straightforwardly and documents his facts."


 
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2011年9月27日 (火)

異色の卒業生


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画像の本は、ブライアン・シブリー(Brian Sibley)著の "The Thomas the Tank Engine Man: A Biography" です。1995年にイギリスで出版されました。 シブリーの著書はすでに何冊も邦訳され、日本でも知られた方です。とりわけ、すぐ書房から出版された『影の国よ、さようなら』(中尾セツ子訳、後に『永遠の愛に生きて』と改題)で、クリスチャンの間でも知られるようになりました。シブリーは C. S. ルイスやトールキンの児童文学についてのガイド本なども著していますが、一般には伝記の著者として知られています。


上記シブリーの本は、日本でも『汽車のえほん』シリーズの著者として知られる、ウィルバート・オードリー牧師(Rev. Wilbert V. Awdry)の伝記です。『汽車のえほん』シリーズの第2巻は『機関車トーマス(Thomas the Tank Engine)』といい、絵本だけでなく、テレビ番組として日本でも子どもたちの間で根強い人気があります。『汽車のえほん』シリーズは息子のクリストファーさんとの共著ですが、息子さんの求めに応じてオードリー師はトーマスの物語を作ったそうです。


私がシブリー著のこの伝記を知ったのは、在英中のウィクリフ・ホールの学生の時でした。ある卒業生の伝記が出たということで、ホールのニュースレターにそのことが載ったのでした。その卒業生こそ、ウィルバート・オードリー師のことだったのです。オードリー師は1932年にオックスフォード大学セント・ピーターズ・コレッジ(St Peter's College, Oxford)を卒業後、イギリス国教会の司祭(牧師)になる教育を受けるためにウィクリフ・ホール(Wycliffe Hall, Oxford)に移り、翌年に Diploma を取得し卒業しています。それからエルサレムの学校で教えるためにイスラエルに行きました。帰国後の1936年に国教会の教職に叙任されています。その後、1965年に引退しました。因みに、オードリー師のお父様も国教会の司祭でした。


我が家の子どもたちも好きだった『機関車トーマス』の作者がなんと、ウィクリフ・ホールの卒業生だったのです。当時、シブリーの伝記の出版を聞いて初めて知りました。J. I. パッカーや N. T. ライトやニッキー・ガンベル(「アルファ・コース」の創始者)たちだけでなく、オードリー師のような異色の卒業生も輩出していることをちょっぴり誇りに思ったものでした。それにしても、オックスフォードにはおもしろい人たちがいますね。オードリー師は牧師であり、鉄道マニアでした。以前このブログで紹介したフレデリック・ホープ師も、牧師であり昆虫マニアでした。これもオックスフォード流アマチュアリズムの世界なのでしょうか。


ところで、テレビ番組『きかんしゃトーマス』のナレーションといえば森本レオさん。先日、たまたま YouTube で肥後さん(ダチョウ倶楽部)のものまねを視て爆笑してしまいました。(4分20秒あたりからご覧下さい!)
 ↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=aLxJ1HylyNs


 

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2011年9月26日 (月)

『リバー・モンスターズ』


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イギリスの釣り師ジェレミー・ウェイド氏(Jeremy Wade)が、自ら魚を釣り、案内するドキュメンタリー番組『リバー・モンスターズ』。題名のとおり、化け物のような淡水魚を世界の河川で探します。画像は、アフリカのコンゴ川やザンベジ川に棲息するという「ゴライアス・タイガーフィッシュ(Goliath Tigerfish)」を捕獲した時のものです。体長1.5m、体重は約40kgの大物。でも最大は体長2m、体重70kgにも及ぶ個体もいるとか。サイズ以上に衝撃的なのが、どう猛な肉食獣を彷彿させる牙ですよね。まさに川のサメです。


ウェイド氏は1960年生まれの51歳。英国ブリストル大学で動物学の学位を受けています。お父様はイギリス国教会の教区司祭(Vicar、牧師)だったそうです。

 

ゴライアス・タイガーフィッシュを釣り上げるウェイド氏。
(YouTube のコメント欄にあるように、これはピラニアではありません。)
 ↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=tfd5p1JqUsw


 

これは本当に怖いカメです!!
 ↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=JharT0XcAxM

 


こやつが呑み込んだ魚のサイズに仰天!!
 ↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=NqrYOvm-yOI&feature=relmfu

 

世界は広いですねー!

 
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2011年9月24日 (土)

ストロング・スタイル


ヤンキー牧師さんからは「日進市花火問題について書こうと思ったら・・・」で拙文を取り上げて下さり恐縮です。


昨日のブログ「監督退団報道を受けて蓮舫化してしまいました・・・。」には激しく同意! 特別なドラゴンズ・ファンではありませんが、落合監督は指導者として真のプロフェッショナルと尊敬してきました。


私には、落合監督と往年のプロレスラー、カール・ゴッチの姿が重なります。ゴッチも妥協を許さない強さと激しさで知られたレスラーでした。それが故に、プロレス界では干されていました。ショーマンシップに欠ける者は淘汰されるわけです。でも私は断然、ゴッチのストロング・スタイル(ショーを演じない、今で言う「ガチンコ勝負」)が好きでしたね。


牧師・伝道者の世界でも、ストロング・スタイルは干される傾向にあるようです。マスメディアの世界同様、「有名かどうか」ということが優劣の判断基準となっていないでしょうか。クリスチャンや教会が世の影響に呑まれるのは嘆かわしいことです。落合監督の退団の報に接して、ふと思ったことです。


ゴッチの決め技、<ジャーマン・スープレックス・ホールド>。

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2011年9月21日 (水)

ノイジー・マイノリティ


愛知県日進市の花火問題は、結局、市長が福島県川俣町に出向き謝罪することを決めたそうです。20件ほどの抗議にビビった結果、市民らから1900件近い逆の抗議が寄せられたとか。京都の五山送り火の件といい、「ノイジー・マイノリティ(文句の多い少数派)」の無責任な抗議に右往左往し、屈した結果です。名付けて「苦情民主主義」。


フリーライターの深川峻太郎氏は、『苦情の電話をかけるのは、常にごく一部の人間にすぎない。大多数は、特に文句がないから黙っている。無責任なノイジー・マイノリティの声に左右される「苦情民主主義」は、支持ばかり気にする(つまり多数派に迎合する)ポピュリズムよりも愚かしい。意思決定者は、苦情を脇に置いて自分の頭で考えるべし。』と述べていますが、全く同感です。


キリスト教会にもノイジー・マイノリティは存在します。教会総会で決議された後も、文句や不満を述べ続け、部外者に抗議のタレコミを行う少数の人たちです。こういう人たちをまともに相手にすると、それこそ京都や日進市の二の舞です。教会は混乱します。だいたい、ノイジー・マイノリティとは、日頃は傍観者のくせに、総会の時だけ正義漢ヅラをする無責任な人たちというのが、どの教会でも相場のはずです。「ノイジー・マイノリティ(苦情民主主義)」が「ポピュリズム(大衆迎合主義)」より愚かしいことは、日進市等の例でよく分かりましたから、教会はそういう少数者を相手にしてはいけません。キリスト教会は、(皆で決めて皆で従う)権威ある総会を開かなければなりません。そして、その権威を守らなければならないのです。


 

『日本人の9割に英語はいらない』


成毛眞(なるけ・まこと)氏(氏のブログはこちら→http://d.hatena.ne.jp/founder/)がまた刺激的な本を出されましたね。

面白そうなので、Amazon.com で予約しました。


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英語ができても、バカはバカ。

「社内公用語化、小学校での義務化、TOEIC絶対視……ちょっと待った!」
マイクロソフト元社長が緊急提言


 目 次
「英会話に時間とお金を投資するなんてムダ」

「頭の悪い人ほど英語を勉強する」

「楽天とユニクロに惑わされるな」

「ビジネス英会話なんて簡単」

「英語ができても仕事ができるわけではない」

「インターナショナルスクールを出て成功した人はいない」

「早期英語学習は無意味である」

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本の帯にある「英語ができても、バカはバカ」とは、何とも刺激的で挑発的な本です。まだ読んでいませんが、アメリカの高校とイギリスの大学を卒業した私も、恐らく9割がた同じ意見だと思います。笑 (因みに我が家では、夫婦の会話は100%日本語です。妻はアメリカ人ですが。在英中でさえ、夫婦間の会話は100%日本語でした。うちの子どもたちが証言してくれるでしょう。) この本、一読してみませんか?


 
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2011年9月18日 (日)

直説法と命令法


確か、ルドルフ・ブルトマンの言葉だったでしょうか。(自信がない)


  直説法に基礎づけられぬ命令法はなく、

  命令法を伴わない直説法はない。


福音の本質を表した言葉ですね。
直説法とは、「〜です。」とか「〜である。」といった断定文です。
命令法とは、その名のとおり、「〜せよ。」などの命令文ですね。


ヨハネの福音書8章11節の主イエスのことば、


「わたしもあなたを罪に定めない。(→直説法)
 行きなさい。
 今からは決して罪を犯してはなりません。(→命令法)」


は、福音の何たるかを教えてくれます。


命令を守る力は、「罪に定めない」という直説法(約束)から湧き出ます。
他方、約束をいただいた者は、感謝の応答として「罪を犯してはなりません」という命令を守るのです。直説法と命令法の関係は、順序が大事なのです。もっとも、直説法の前には「罪の自覚」が必要なのですが。ところで、パウロのローマ書6章も「直説法と命令法」ですね。


 

トレードオフ


フェイスブック上で、友人クリスチャンらから「脱原発」への同意を勧誘されます。正直、こんなことを言うとキリスト教界(特に福音派)から総スカンを食らうかもしれませんが、現実世界が生命と経済活動の「トレードオフ」で保たれていることを彼らがどれくらい真剣に考えているか分からなくなります。「経済活動より生命」の合言葉は、確かに殺し文句です。ですが、実際生活はそんなに単純なものでしょうか・・? これは、私がかつて民間企業(自動車&電器メーカー)にいた経験が影響しているのかもしれません。また大学生時代、2年連続で春休みを利用して当時の共産圏諸国(ソ連とその衛星国=ワルシャワ条約機構国)を旅した経験も作用しているかもしれません。一部のクリスチャンに見られる「左翼」志向に、本能的な違和感を感じてしまうのです。 


ところで、昨日、妻が映画『チャーチル 第二次大戦の嵐(原題 "Into The Storm")』(2009)をCS放送で観ていました。そこで私も、ふとウィンストン・チャーチルの言葉(と言われるが真偽は不明)を思い出しました。


  「20歳のとき左翼にならない人には心がない。
   40歳になっても左翼のままの人には頭がない。


  "If you are not a liberal at 20, you have no heart.
   If you are not a conservative at 40, you have no brain."

                

以上、ボヤキでした。


 
 
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2011年9月16日 (金)

バプテスト教会を去った理由


英文のブログ「Omnia ad Dei Gloriam」から。
 ↓↓
http://sdgfamily.blogspot.com/2008/09/why-did-you-leave-baptist-church-part_15.html


 

この方は長老教会に移ったようですね。
正直、けっこう同意したり同情できたりするところが多いです。
ここでは教職者の資格(qualification)と道徳的・倫理的破綻が言及されています。
立ち上がる人たちもいるようですが・・・


There are, thankfully, not only godly men remaining, but some of them are standing up and recognizing the terrible problem with which their denomination is faced. These men have so far been largely ignored. Their ministries are hailed as vital to the health of the denomination.

 

因みに、私も南部バプテスト(Southern Baptist Convention)の教会で受洗しました。他人事とは思えません。でも、学位(それも高度な学位)を持っていても問題を起こす牧師はいます。学位や資格が倫理や道徳を保証する訳では決してありません。だからと言って、日本での状況のように、寺子屋のような神学校(公的な学位認定基準を持たない資格付与機関)での教育で十分とも思いません(→「学歴汚染」のサイト)。難しいところです。

 

映画『フラメンコ』より


カルロス・サウラ監督(Sr Carlos Saura)の映画『フラメンコ』から。


トマティートの弾くギターも魅力的ですが、何と言っても男性ダンサーの踊りが
カッコイイ!!  3分58秒くらいから始まります。
 ↓↓
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=2G-hkNe7ZEk



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2011年9月15日 (木)

「教えの風」(エペソ 4:14)とならないために


小嶋先生のブログ、「王なるイエスの福音」と、コメント欄を楽しく有意義に読ませていただいております。スコット・マクナイト教授の新刊、私も現在注文中です。YouTube の動画を観て、妻もマクナイト教授に関心を持ったようです。(但し、別の意味も含めて。マクナイト教授と私の体型が重なるようです。特に腹部が!)


ところで、私もそれなりに N. T. ライト教授の著作には触れておりますが、実は、礼拝説教等ではほとんど触れたことはありません。このブログを見ている教会員は同意してくれるでしょう。そういう意味で、私は今でも「サルベーション・カルチャー」による説教を堂々としております。もちろん、折に触れて、ライト教授からの示唆を説教に織り交ぜたりはしますが、「ゴスペル・カルチャー」のスキームに従って説教が根本的に変わるなどは当分あり得ないし、また、すべきでないと考えています。理由は、小嶋先生ご自身がコメントでおっしゃっていることがまずあります。

たとえ「サルベーション・カルチャー」でイエスを受け入れた(決断した)方であっても、イエスを主として告白しイエスの弟子となってその信仰生涯を全うなさる方は多くいるでしょう。逆に「ゴスペル・カルチャー」で福音を提示されたとしても、当時のユダヤ人の多くがそうであったように、御霊の働きによって信仰を持って「イエスを主とする」ことが出来なければ(その時点においては)「救われ」ないのです。 


これはとても大切な点だと思います。


他方、消極面での理由もあります。それはかつて、大西洋の両側で聖書論をめぐり福音主義者たちの間で議論の激しかった頃、恩師 R. T. フランス先生(Rev Dr R. T. France)がイギリス国教会(保守派)の神学雑誌 "Churchman" に寄せた論文の中での言葉です。激化する聖書論論争の行方を憂いながら先生は述べています。

"The professional scholars tend to press doggedly on with their researches without considering how their results are likely to affect the evangelical public .... There is need for care in presenting our material so that the non-specialist reader will not be misled. It is an exercise in communication, which is sadly not always the scholar's greatest aptitude. So unnecessary hostility is sometimes created towards new interpretations because they have not been presented with sufficient care and consideration for the natural reactions of the ordinary Christian." ("Evangelical Disagreements About the Bible"、Churchman 96、1982、pp. 226-240  但し、上記の引用は、Mark A. Noll、"Between Faith and Criticism: Evangelicals, Scholarship, and the Bible in America"、(Baker Books, 1986)、p. 170 より)

 
「聖書論」と「ゴスペル・カルチャー」の問題の違いはありますが、教会の現場という視点からは課題は共通しているように思われます。もっとも、ライト教授はじめ多くの学者が十分な配慮をもって学説を主張しておられるのは疑いないことです(信徒向けの書籍や入門書等の出版)。むしろそれらを承けて、我々牧師や伝道者が説教や牧会の現場でどう濾過し、伝えるかの配慮が問われているのかもしれません。


まったくの独断ですが、英語圏においてさえ、ライト教授の学説が本当に根を下ろすのにあと10年は必要だろうと考えています。それが普通に教会で説教され、一般信徒が抵抗なく受け容れるのには更に20年を要すだろうと思います。つまり、ライト教授が学界で Rising star となってきたのが今から20年ほど前ですから、要するに、新しい学説が抵抗なく教会の現場に根付くのに50年はかかるということです。日本においては、未だ邦訳書が一冊も出版されていない状況ですから、・・・・う〜ん、当分は「サルベーション・カルチャー」の時代が続くでしょうね−。 その意味で、小嶋先生や同志の方々による地道な取り組みは大切な啓蒙、もとい、啓発なのです。

 

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